身体がどう動くか?と、心がどう現れるか?というのは、密接なつながりがあるようです。
たとえば、動きが何か表面的だなぁ、という人の心といいますか、ものの見方は、やはりどこか表面的ですし、
動きが何か、ぎくしゃくしているなぁ、という人は、心の現れ方が、ぎくしゃく、つまり、心の奥と表に現れているものとに、大きな隔たりがあるような。
動きが奥底から、スムーズに大きく現れている人というのは、心の現れ方も、奥と表に差がなく、素直に大きく出てくる。
動きに固さのある人は、心の殻もどこか固めなような。
どうしても力んだ動きになってしまう人は、心がなかなか休まるときが無いとか。
自然な動きではなく、ポーズが目に付く人の場合、本当の心は閉じ込めて、別の心を表面に作り出そうとしているような。
まあ、何も私の動きが素晴らしく、心の現れ方も素晴らしいなんていうわけではありませんよ。ええ、全くもって、そんなことはないんです・・・うぅ。。。
それは、さておきまして、マイムの場合、スポーツとは違いますから、ただ身体が動けばいい、というものではありません。
質が大切。
質が大切といいましても、柔らかければいい、ということでもありませんで、固さと柔らかさ、重さと軽さ、そういったものの幅が広いことが重要なんですね。
で、この質といいますのは、単なる肉体訓練では磨き切れません。
冒頭の「身体がどう動くか?と、心がどう現れるか?というのは、密接なつながりがある」という言葉から、分りますように、
心にアプローチしないと、動きの質には手が届かないんです。
これは自分で気付くしかない問題でして、自分の動きの質の悪さを、肉体のせいばかりにするのではなく、ものの見方・考え方、心のあり方に、問題があるのではないか?と真摯に思うよりほか無いんですね。
自分の動きを見ますと、自分の心がよ~く見えてきます。
辛いことでもありますけど、ありがたいことです。
私はマイムに出会えて、良かった。
私の心は足りないものだらけ・・・あぁ、日々修行。。。