オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

個性を出す?消す?

私たちはごく一般的には、常に自分という存在があって、
そのある意味、固定された私が、何かを考え、経験しているのだと思っていますよね。



私が悲しい思いをしている。
私が痛みを感じている。
私が眠気を感じている。
私が話をしている。




けれど、私たちのマイムでは、そうは考えないんです。



悲しい思いをしている私が、そのときいる。
痛みを感じている私が、そのときいる。
眠気を感じている私が、そのときいる。
話をしている私が、そのときいる。




・・・違わない?? (笑)




前者の私は、常に固定された私が出発点なんですね。
「常定私」とでもしておきましょう。



後者の私は、全て違う私なんです。
そのときどきで、違う私がいる、ということなんです。



例えば、子どもの頃の自分と今の自分って、同じ自分であるのに、
なんだか違うような気もしますでしょ?

時間を長いスパンで考えますと、分かりやすいかと思います。
あのときの私はあのときの私で、今の私は今の私。



これを、ものすご〜く短いスパンで捉えますと、先ほどの後者の私になりますよね。
今さっきの私はあくまで今さっきの私で、今の私は今の私。
さらに、次の瞬間の私はやはり、あくまでそのときの私。



私が何かをしているのではなく、そのときそのとき何かをしている、何かを感じているのが私、
ということで、「認知私」とでもしておきます。






一般的に表現といいますと、

常定私の思いを

いかに伝えるかだと思われています。




けれど、私たちのマイムに、常定私はいないんですね。



常定私から離れられませんと、私たちのマイムを習得したとはいえませんし、 
常定私がいないということを理解していませんと、単に表面的な身体技法を習っているに過ぎず、
本当の意味でこのマイムを学んでいるとはいえないんです。



といって、理解してから学ばなければいけないというのではないんです。
やっているうちに、分かってくればいいんです。
そして、身につけばいいんです。



それにですね、表面的な身体技法も相当に有用です(笑)
健康面でも。何しろオーガニックですから!(笑)





さて、私たちのこのマイムがどんなマイムで、他のマイム、パントマイムと何が違うのか?
とよく尋ねられるのですが、

この常定私と認知私のこと抜きには語れないため、

話が通じなかったりするんですよね。。。




別に「カベ」「綱引き」をしないわけではありません。
何か高尚なことをしなければならないとか、でもありません。





ひとつ言えますことは、
「心と身体がひとつ」となって、オーガニックに動くということは重要です。

また、身体だけを取り出しましても、
イメージではなく実際問題として頭の先から指の先までの連動性も重要です。

その身体の連動性(オーガニック性)を「JIDAIメソッド」として、クラスを設けてるわけなんです。




けれど、
身体のオーガニック性だけでマイムをしたのでは、単に良い動きのマイムということに過ぎません。

何しろ、身体のオーガニック性はスポーツでも使えるわけですから、それだけのマイムでは、
いくら表現をしていましても、身体としましては運動の延長線上にすぎないんですね。

要するに、特殊な運動をしながら表現しているという、
私のいうところの身体運動表現になります。




とはいえ、

身体のオーガニック性の先に「心と身体がひとつ」という、

心と身体のオーガニック性があるわけで、

ここの質(いかにオーガニック性をがっちりとキープし続けられるか)が、

実は、

常定私を脱し、認知私であるための必要条件になるんです。





こんな話、変にしますと、何やら宗教やオカルト的にとられかねないので、
伝えるのは難しいんですよね。



宗教やオカルト的になるというのは、結局のところ、
認知私になった気分で行なうマイムなのか?というように、
身体・技術からは逃避し、頭の中で自分ひとりがいい気分、
やった気にになるようなタイプのマイムだと思われるということですね。





さて、認知私ですが、これは個性を消すというのとは違いますので、
ちょっと説明をしておきたいと思います。




認知私はあくまで認知できる身体あっての私です。





その身体はどれだけオーガニック性を高めましても、やはりひとりひとり違いが残ります。
それは、雪の結晶がひとつとして同じものはないという、それと同じことだと思います。


そして、心と身体は本来分けられるものではなく、見え方、現れ方の違いですから、
身体と同じように、心もみな違います。




そこを、自分の個性が無くなるのでは?という恐れから離れられず、
常定私にしがみついていますと、表面的な個性、表面的な他人との違いを押し出すことになります。




認知私として現れる個性とは、
そういった表面のものを削ぎ落として削ぎ落としていったところに残る、
真の個性だと私は思っています。



大丈夫なんです。元々、ひとりひとりが違う存在なんですから、
どれだけ削ぎ落としても同じにはならないんです。





但し、個性を消すなんて考えてしまいますと、
それは「個性を消す」という色を上塗りすることになりますから、
本当に個性が無いような状態になってしまいます。




といいますか、表現者の場合、

いやらしい感じの「個性を出さない風」

になる場合が多々あるので、注意が必要です。





最後に。


認知私として舞台に立ったとき、舞台で今を生きられます。








          8月9日 『原始歩き同好会』

             https://www.facebook.com/events/1153513671331274/



   8月13日 『声(音)を体に響かせる〜身体感覚を磨く 第9回

              (リピーター限定)』

                 https://www.facebook.com/events/437149816485995/




  8月15日 『四足歩行を極める! 〜一段上の動きを手に入れる〜』





   8月16日 『声(音)を体に響かせる〜身体感覚を磨く 第10回』

                 https://www.facebook.com/events/860544080687835/

  



   9月10日 『声(音)を体に響かせる〜身体感覚を磨く 第11回』

                 https://www.facebook.com/events/826533874127692/




        9月13日 『「丹田・軸・脱力」開発ワーク』

                 https://www.facebook.com/events/817625011677819/





   9月17日 『エモーショナル・ボディワーク 〜感情と身体〜』

                 https://www.facebook.com/events/152109571788982/


  




Body,Mind&Spirit 本当の自分の身体は天才だ!







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