オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

間(ま)と重量 〜「跳ねる」と「落下」2〜

間(ま)と呼吸のお話です。

 

 

落下する身体

 

から生まれるものは、

 

「なだらかな上昇(あるいは下降)⇄空白」

 

ですから、

音の無い時間が生じる。

平坦で静かな感じ。

 

 

だからこそ、日本では

間(ま)を活かせるかどうかが、

重要になるのでしょうね。

 

 

と前回、お話しました。

 

 

この「間(ま)を活かす」とは

呼吸だという話なのですが、

それは単に息をするといった意味での呼吸ではなく、

 

重量感を持った呼吸と考えてみては?

 

というお話です。

 

 

重量のあるものを

例えば、落としますと、

重力加速度によって、

スピードは一定ではなく、

徐々に上がっていきますよね?

 

もし、投げますと

上がるときは

徐々にスピードが落ちますね。

 

 

この放物線的な動き

あるいは

時間の感覚が詰まってくるような動き

 

が、間(ま)の肝になるのだと思うんですね。

 

 

「跳ねる」動きの持つ

「拍」ではないのです。

 

 

例えば、

一本締めなどの際、

「ぃよーーーおっ」

の後に手を叩くまでの間(ま)は

何拍あけるか?ということではないですよね?

 

 

もし、掛け声の長さや勢いを変えたとしますと

自然とその間(ま)は

長くなったり短くなったりすると思うんですけど、

何も考えずとも

バッチリのタイミングで手を打てるはずです。

 

どうも外国人は

これが難しいらしいですよね。

 

日本人で、これが上手くいかないと

それこそ「間(ま)が悪い」人になってしまうわけです。

 

 

試しに、

「よーーーおっ」の後に

拍を入れて手を叩いてみて下さい。

 

どうにもなりません(笑)

 

それこそ間抜けな感じに(笑)

 

 

 

そもそも、

「よーーーおっ」自体が

「なだらかな上昇」であり、

今回お話している

放物線的、あるいは

時間の感覚が詰まってくるような

動きを伴っていますよね?

 

 

ですから、

手を叩く音までのつなぎとなる

 

空白、無音部分が、

 

放物線、時間が詰まっていく動きの

 

延長線上

 

のものとして

存在することになるわけです。

 

 

 

だからこそ、

拍ではなく、

間(ま)となるのです。

 

 

非常に絵的な感覚です。

 

 

「余白の美」

というものがありますけれど、

まさに拍の世界ではなく、

間(ま)の世界ですね。

 

 

で、絵的な感覚といえど、

そのベースは

重量のあるものを投げる・落とすといった

動きの時間感覚です。

 

 

そして、その重量のあるもの動きというのは、

呼吸の感覚のことになります。

 

(重い)ものを投げる際、

「んやぁぁぁーーーっ!」

 

(重い)ものを振り落とす際、

「ふぅぅーんっ!」

 

このような音が、

呼吸に伴って生まれるように、

呼吸そのものが

放物線的な動き

あるいは

時間の感覚が詰まってくるような動き

をしているわけです。

 

 

心臓のように拍を刻む動きではないんですね。

 

 

ということは、

重量感のある呼吸が出来るかどうか?

が、

間(ま)を活かせるかどうか?

に関わってくる

ということになりますよね。

 

単に吸う吐くという息をする感覚では、

一本締めなど慣れたもの以外で

間(ま)を使いこなすのは、

難しいということでもあります。

 

 

「跳ねる」と「落下」から

見えてくるもの、面白いので、

また、お話したいと思います。

 

 

 
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