リズム感に関する面白いエピソードを聞きました。
グルーヴ感を出せず、リズムに難のある人が
歌の先生から、こんなアドバイスを受けたそうなんです。
「お祭りの、
わっしょいわっしょい、
らっせーらっせーで
リズムとってみて」
そうしたら、
「あれれ?あっさりできちゃった」
と。
実は、その先生曰く、
あるドラムの人も、
アメリカで黒人にドラムを教わっていた時、
どうにもリズムがとれなくて、
「もうなんでもいいから、お前の国の音楽のリズムとか叩いてみろ!」
で、祭り囃子を叩いたら、
「それだよ!できるじゃないか。お前は俺をおちょくってんのか?!」
と言われたそうなんです。
これ、面白いですよね。
祭りのこのリズムは、
日本の「落下」する身体ではなく、
跳ねてますものね。
「わっしょいわっしょい、らっせーらっせー」は
「わっしょい!わっしょい!、らっせー!らっせー!」
ですものね。
もし「落下」のままですと
「わっ!しょい、わっ!しょい、らっ!せー、らっ!せー」
になります。
後者の言い方もしますけど、
NHK紅白歌合戦の幕間余興っぽいですよね(笑)
前者の言い方だと、迫力・勢いが違いますよね。
「落下」する身体だからと言って、
必ずしも跳ねられないわけではないんですよね。
ただ、少し特殊技術っぽいところがあるわけです。
これは、西洋の「跳ねる」身体でも同じでして、
落下することも、当然出来るんです。
で、実は、
この逆の方向性のエネルギーを
使えるかどうかは、
スポーツでも表現でも、
重要なポイントになってくるのだと思うんですけど、
それは、また改めて。
戻りまして、
今回のリズム感にまつわるお話、
さらに、面白いものが。
その歌の先生曰く
「でも、黒人はリズム感すごいけど、
日本的な溜めて打つリズムになると、
全然叩けなくなってしまう」
と。
ここは、本当に面白いですね。
まさに、
日本の「落下」する身体が持っている
「間(ま)」が
跳ねっぱなしの身体では、
未知の世界という感じなんでしょうね。
日本の言葉の
5・7・5などの調子、
上っては下り、また上っては下りの
その間の空白のような
音のない時間、待つ時間が
つまり、間(ま)。
百人一首を読み上げますと
よく分かりますよね。
間(ま)は
拍ではありません。
決まった時間でもありません。
その場の空気感や
前後の言葉の流れ・勢いによって
生まれるものですものね。
空(くう)を色(しき)にする
無を有にする
と言う感じでしょうか?
いやぁ、尽きませんね。
また。