時間とは何か?時間はあるのか?みたいな本を読んでいて、
その本自体は、何を言っているのか、さっぱり分からなかったのですけど(笑)
あるインスピレーションが!
本の中で、関連するものが出てきたわけではないのですが
結論を先に言ってしまいますと、
「身体には時間は無く、時間は脳の中にだけ存在する」
というものです。
身体というのは、感覚器といいましょうか、
例えば、眼。
見るという行為ですけど、
眼自体は動くものを連続しては捉えていなくてですね、
アニメーションや映画のフィルムのように、
一コマ一コマ、一枚一枚の絵として捉えている。
耳の音を聞くという行為も、
一つの長く続いているように聞こえる音でも、
実際には音波という形で、
アニメや映画のフィルムと同じように、
単発の音を連続して捉えている。
突拍子もないことだと思って聞いて下さいね(笑)
つまり、全てはデジタルでしか捉えられなくて、
連続したものとしては捉えられない。
それを、脳の方で、ひと繋がりのものとして認識するように
変換している。
ですから、
捉えられるコマが少なければ、
パラパラ漫画のような感じになり、
コマ数が多ければ、滑らかなアニメになる。
人によって、捉えられるコマ数に差があり、
同じ人の中でも、感覚器によっても差があり、
おそらく、私は眼は捉えられるコマの数が多く、
耳は少ない。
というようにですね、
身体の方は、全てが一枚一枚、ひとつひとつといった、
時間という幅の無い世界になっていて、
それを脳が繋ぐことで、時間という幅のあるものにしている。
そもそも、電気信号自体が高速で信号を連続して発しているわけですから、
デジタルだと思うんです。
お話それますけど、
光通信は、光の点滅の速さによって通信速度が上がっているわけで、
結局はデジタル。
身体の中で、神経は電気信号で情報を流しているんですよね?
となりますと、
身体にとって、世界はデジタルでしか存在しておらず、
全ては、その瞬間瞬間でしかない。
けれど、それでは自我が耐えられないのかもしれませんね。
連続したひと繋がりの存在でいるために、
脳の方でパラパラ漫画が成り立つようにしている。
そして、この解像度を上げる、つまりパラパラ漫画を
連続した動いているものとしてではなく、一枚一枚の絵として見る、
そういった力を上げるために有効な訓練が、
瞑想なのだと思うんです。
脳による幻想みたいなもの(勝手にひと繋がりにしてしまうこと)から離れ、
身体自体が捉えているものを純粋に捉えるわけです。
ゾーンに入ると、動きがスローに見えるといったものも、
こういったことなのではないかと。
とまぁ、こんなことをですね、昨日の夜に思いついたものですから、
まだ自分でもよく分かっていないのですけど、
もっと深く理解してくると、
何か重要な気づきや体験に繋がるのではないかと、期待しているところなんです。
アートマイム公演 2月8日(火) 19:30~20:30