筋力があっても柔軟性があっても、
エネルギーの通し方を掴めないと、出来ないことがあるんですよね。
日本舞踊を習い始めてしばらくした頃ですけれど、
ある腕の動きと言いますか、形が出来なかったんです。
全く出来る気がしない感じだったんです。
先生も「どうしてかなぁ・・・?」と言う感じで、
「マイムをやっていて、柔らかいからかな??」
と。
まぁ、お手上げ状態ですね。
どんな形かといいますと、
腕をグッと伸ばしたときに、肘が伸び切らないで、わずかに曲がった形。
ん??
これの何が難しいの??
と思われますよね(笑)
そうなんです、表面的にこの形を作るのは、難しいことではないんです。
誰でも出来ます。
けれど、大事なことは、グッ!と力を込められるかどうかなんですね。
で、当時の私は当然、力を込めてはいるんですけど、
どうしても肘が伸びてしまうんです。
この肘が「わずかに曲がる」のは、曲げるのではないんです。
「曲がる」なんです。
それが、私は伸ばせてしまう。
先生曰く「伸ばせないはず」なんです。
なんだか、禅問答みたいですよね(笑)
力を込めたら、伸ばせないはずなのに、
私は力を込めても伸ばせてしまう、それも楽に。
それで、「マイムをやっていて、柔らかいからかな??」
のお手上げ発言になったというわけなんです。
どう思われますか?
やはり、私の体が特殊に訓練されているから、
日本舞踊のこの動き・形が出来なかったのか?
もちろん、そんなことはありません。
「私の力を込める」と、「先生の力を込める」が、
別物だったが故に、
私は肘を伸ばせてしまっていただけなんです。
だいぶ掛かったとは思うんですけど、
いつの間にか出来るようになっていまして、
そのことが分かったんですね。
もし、あの当時、自分の体が特殊なんだと思ってしまっていたら、
永遠に出来るようにはなっていなかったかもしれませんよね。
そこで、探求は終わってしまい、
本当は肘を伸ばせるけれど、形として曲げるということで、
ごまかし続けることになってしまいますからね。
ところで、なぜ出来るようになったのか?
それは、あくまでエネルギーの通し方を見つけ、
精度を高めることをしていったからであって、
理屈が分かったからではないんです。
(今は、その原理を言語化出来ます)
体で掴んでいっただけなんですね。
ですから、難なく出来るようになってから、
その原理を言語化して伝えられるようになるまでには、
それこそ10年とか、もっとかもしれません。
それだけ掛かっているんです。
こういったことから見えてきますのは、
出来ていない段階で、
「〇〇を練習したら」
目的の動きが出来るようになるといった希望的観測は、
実は、的を外しているだろうということなんです。
そんな分かりやすい、つまり言葉に出来るような範囲のことでは、
辿り着けないんです。
出来ている状態ですら、それを言葉に出来ないものが、
出来ていない状態で、〇〇が鍵だ!なんて分かるはずがないんですよね。
見えていないものがあるということ。
その見えていないものが機能していないから、出来ないんです。
常に、何か見えていないものがるのでは?
という姿勢でいられるかどうかは、重要ですね。
元のお話に戻りまして、
「力を込める」の意味合いが先生と私とでは違っていたわけですけど、
この違いも、自分が出来るようになって、初めて分かるわけで、
出来るようになってしまいますと、
以前の私の力を込め方は、決してしなくなるんです。
面白いものですよね。
先生はその状態になって何十年でしょうから、
当時の私のような力の込め方は、想像し得ないんだと思うんです。
それは、力を込めているのではなく、力みですから。
エネルギーが流れてないわけですから。
筋力があっても柔軟性があっても、
エネルギーの通せないことには始まらないのです。
新著
●第1章 バネを利かせる! 地面反力
●第2章 敏捷になる! 股関節の抜き
●第3章 腕に螺旋エネルギーを通す!
●第4章 脚に螺旋エネルギーを通す!
●第5章 触れ方の質を上げる!
●第6章 想いを伝える、届ける!
●第7章 日常生活で動きの質を上げる!
次回アートマイム公演 3月27日