「カッコイイ!」踊り。
「スゴい!」踊り。
今日は、この違いの大きさと、間にある壁(溝?)を感じてしまいました。
これは、踊りに限らず、運動系のことには全て通じることだと思いますし、表現系でも通じることだと思うんです。
ですから、かなり多くの人にとって、自分事になるのではないかなぁ?と。
今日感じたと言いますのは、たまたま目にしたダンサー(グループ)、相当に人気があるようなんですけど、踊りがカッコイイとは全く思えなかったんですね。(振り付けではなく踊り自体のお話)
けれど、明らかにスゴい!んです。あんなに踊れるって、いやぁ、ほんとにスゴい!
ただ、そのスゴい!というのは、動きがスゴいのであって、踊りとしてではないんです。
分かりやすく言いますと、踊りには見えない。運動に見える。
ということなんです。
(踊れもしないのに、何を偉そうに。。。ではあるのですけど。)
一方、別の国の世界的に有名ダンサー(グループ)は、なんだかカッコイイんです。大して動いていないんです。動きのスゴさはむしろほとんど感じられない。けれど、カッコイイ。まぁだからこそ、世界的に人気なんでしょうけど。。。
クラシックバレエの世界でも、この感じを覚えたことがありまして、以前にお話をしたことがあるかもしれませんけれど、ある有名日本人バレエダンサー、どう見ても空手っぽい。けれど、世界的評価を受けているプリンシパル。
他にも、私がクラスで何度か例として取り上げた、あるジャンルのダンスの有名日本人ダンサーと、別の国のダンサー(どちらも2人組)。
こちらも、日本人ダンサーはものスゴい!んです。信じられません。凄まじい練習量を積んできたんだろうなと容易に想像させてくれます。けれど、カッコイイわけではない。踊りには見えず、運動に見えるんですね。
一方の別の国のダンサーは、やはり大して動かない感じなんですけど、ものすごく踊り!なんです。だから、カッコイイ。
体型の問題ではありません。全く無いとは言い切れませんけれど、そういったことではないんです。
もちろん、顔の問題でもありません。
むしろ、顔の問題は別のところにありまして、運動にしか見えないダンサーもカッコよく踊ろうとしているがために、カッコつけた顔が目立つんです。本当にカッコよく踊っているダンサーは、自然といいますか、カッコつけた顔をしても悪目立ちしないんです。
この差はどこから生じるのか?
これまでは西洋の身体・和の身体として、その差を考えてきましたけれど、今回は別の視点が生まれました。
結論を言いますと、
日本人は、「正確好き」だから。
日本人は、正確であることが何より好きなんだと思うんです。
別の言い方をしますと、正解がはっきりと分かるものが好き。
エクササイズ指導の現場で、よくあると思うんですけど、
「これで合ってますか?」という質問。
合っているかどうかを気にしなくて良いというわけではないですけれど、自分が何を感じながら向き合っているか?よりも、自分のやっていることが正解かどうかを気にし過ぎる面があります。
これ、当然、教わる側だけでなく、教える側も同じですから、正解を教えて正解を学ぶという形になってしまいますね。
教えやすく、教わりやすい。
一見、何の問題もないように見えるだけに、問題が根深い。
さて、正確であることが全くいけないことか?と言いますと、もちろん、そんなことはなく、ですから、例に挙げましたバレエダンサーは世界的な評価を受けているわけです。
では、どんな点が評価されているのか?
詳しくは分かりませんけれど、やはりその正確さは重要なポイントのようです。
外国人バレエダンサーがテキトーということではないのですけど、日本人バレエダンサーのような正確無比さは難しいんでしょうね。
正確さにおいて、人間離れしていることへの、驚嘆と敬意といったところでしょうか?
和の身体は流れがないので、正確に動きやすいという面もあるかと思います。
見る側もそういった身体で見ますから、流れよりも正確さの方が受け取りやすい。
で、カッコイイ踊りよりも、スゴい踊りの方に目が向いてしまうのだと思います。
最後に。
私も正確好きではあります。ありますけれど、と言いますか、そうあるだけに、流れのある身体になることを重視してやってきているわけで、この辺りのお話は、また改めて。