言葉で詩を書ける人。
動きで詩を生み出せる人。
映像・絵で詩を描ける人。
空間・時間に詩を感じさせられる人。
いきなり、何を言い出したの?という感じですね。
人の向き不向きといったお話なんですけど、「詩」を喩えにすると分かりやすいと思ったものですから、詩で進めていきますね。
詩は言葉で語られるものですけれど、映像や絵などに詩を感じることってありますでしょ?
そんな感じで、動きそのものが詩のようなダンサー・舞手ということもあります。
私自身は動きそのものという感じもありますけれど、「空間・時間に詩を感じさせられる」というタイプだと思います。
では、私が言葉で詩を書けるか?と言いますと、それは全くありません。
私は言葉の詩からは、相当に遠いところで生きていると思っているんです。
逆に、言葉で詩を書ける人が、映像で詩を描けるか?となりますと、難しそうではありませんか?
といったように、同じ詩を感じさせるものであっても、
人によってどんな手段で生み出せるのかは違ってくる。
全てに秀でている人もいるでしょうけれど、どこかに秀でていたからといって、他も秀でられるわけではない。
私はそもそも言葉が大の苦手なので、言葉の世界に行こうとは露とも思ったことがないですし、動きのほうも元々ごく普通の運動神経(球技は苦手)だった上に、音楽に対する興味も感性も持ち合わせていなかったので、ダンサーというのも全くイメージに浮かばない感じだったんです。
絵は比較的得意だったこともありまして、それで今こうして「空間・時間に詩を感じさせられる人」としてアートマイムをしているのではないかと思うんです。
で、何が言いたいかと言いますと、自分が得意なものを活かせるといいですよね、ということなんです。
もし私が言葉での詩に憧れてしまっていたら(人は大抵、無い物ねだりで、不得意なものに憧れてしまいます)、相当に苦しい思いをすることになったのではないかと思うんです。
もちろん、苦しみが悪いわけではないのですけど、私は苦しみは好きではない、避けたいですし、そういったものに耐える精神的強さを持ち合わせていません。。。
趣味で楽しむのは別のことですよ。
趣味としてやっているのでしたら、苦しくはならないと思うんです。
さて、得意なものって往々にして、「え?普通だけど??」「これくらい誰でも出来るでしょ?」だったりしますよね。
でも、やっぱりそれは得意なんです。
「これくらい出来る人は、いくらでもいるから」という思いが浮かんでも、それはほっておいて気にせず、どんどん突き進んで、第三者にまで届けてしまう方が楽しいんじゃないかな?と思うんです。
憧れで趣味でやるのは、自分のためだけになりやすいけれど、得意なことは、他人のためにやることが容易だと思うんです。
憧れで趣味でやるのは、自分を満足させるためだったりしますけれど、
得意なことは、エゴを薄くしやすい。
得意なことはスキルアップしやすく、スキルアップすると楽しい上に、さらに人に深く届くので、また喜びが増す。
趣味は趣味として楽しみ、得意なことを掘り下げる。
何が得意ですか?
創意工夫がスルスルと生み出せ、上手くいってしまうものは得意なこと。
どうですか?
【公演のお知らせ】
3月15日(金) 19時半開演(20時半終了)