「引き出しが多い」という言い方がありますよね。
話の引き出しが多いといったような。
何かアイデアを出す際にも、引き出しの多さが大事だと言われたりしますね。
これ、動きでも通じるところがあるのではないかと思うんです。
例えば、サッカーでは「アイデア豊富」といった言葉が褒め言葉として使われていると思います。
では、身体表現の場ではどうか?
当然、動きの引き出しが少なくては、困りますよね?
どうしたら引き出しを増やせるのでしょうね?
身体表現系のワークで経験された方もいらっしゃるかもしれませんが、
「自由に動けばいいんだよ」
みたいな言い方。
これ、踊りなどの経験がなく、そもそも動くことに苦手意識のある人は、
「自由って言われても・・・」と困ってしまうと思うんですけれど、
経験があったり、あるいはいつも何かに縛られていて自由に憧れている人は、
「そうか、自由でいいんだ!」となるかもしれません。
けれど、実際に動いてみますと、喜んで始めた人でも、
同じような感じの動きを続けるだけになりがちなんですよね。
で、「動きの引き出しの少なさ」にがっかりしたりする。
かえって、全くの素人の方が、経験者では思いつかない動きをしたりして、
「すごい!」「面白い!」と、そんなこともあるかと思うんです。
ところで、かなり前のお話ですけれど、
私の舞台を初めて観た、舞踏をやっている方(初めてお会いする方)が
終演後に話しかけてくださったんですけど、その中でこんな言葉が。
「動きの引き出しが多いですね」
これ、私が踊り手、ダンスをしているという意識があれば、
嬉しい言葉として受け止められたんだと思うんですけれど、
実際には「ん??」だったんです。
ここに、同じ身体表現という枠組みの中にあっての、
踊り・ダンスとアートマイムとの違いが、ハッキリと現れている感じがしますね。
身体表現といいましても、アートマイムの場合、
動きの引き出しが多い少ないという考え方は、基本しないんです。
と言いますのは、アートマイムは動きを見せるのではなく、
音を聴かせようとしているからなんです。
少し前にSNSで、こんなお話をしました。
「言葉にするとこぼれ落ちるものがあるので、
その言葉になる前の世界を表すのがアートマイム。
そこに、音は溢れているけれど、音楽ではない。
つまり、言葉でも音楽でもない音、耳には聞こえない音を、
自分自身にはもちろんのこと、観客の身体に生み出す必要があるんです。」
アートマイムでは、この音を豊かにする必要があるわけです。
私は、自分自身の動きの引き出しが多いかどうかは、正直分かりません。
けれど、舞踏の方がそう見てくださったということは、
きっと、この音の豊かさを感じていたのだろうと思うんですね。
私は自分の生徒への注意として、よく言うんです。
「動きが平坦にならないように」と。
これは、どれだけユニークな動きをしても、動き・ポジションに変化をつけても、
内在している音に変化がなければ、平坦ということなんです。
見た目には変化していても、身体感覚的には変化していないからです。
音楽活動をされている方が、
踊り(バレエ、コンテンポラリーなど)とアートマイムを同日に観ることがあり、
こんな感想を漏らしていたんです。
「踊りは観るもの」
「アートマイムは聴くもの」
私はアートマイムを身体演技という言い方で紹介しているのですけど、
それは、やはり、身体表現といいますと、踊り・ダンスとイメージされてしまうからなんですね。
鑑賞ポイントが、似ているようで違うんです。
先日、踊りの方とお話をした際にも、やはりこの違いは大きいなと思いました。
舞踏の場合は、また少し違うと思いますが、踊りは音楽なんです。
アートマイムは、音は溢れているけれど、その音は音楽ではない。
では、その音とは何か?と言いますと、
「言葉にするとこぼれ落ちるものがあるので、その言葉になる前の世界に溢れている音」
さて、動きではなく、音の引き出しですけれど、
アートマイムの指導の場では、さまざまな動きの稽古を通して、身につけてもらいます。
音は頭の中で鳴っているだけでは意味がなく、
身体が鳴っている、身体で鳴らせる。が大事ですからね。
一見同じような動きであっても、違うエネルギーの通し方をしたり、
ジェスチャーになりがちな動作に、そうならないためのエネルギーを生み出せるようにしたり、
自分ではないもの(生き物、無機物、その半々など)になったり、
能動と受動を明確に分けて動いたり、混ぜて動いたり、
呼吸やエネルギーの方向の使い分けなどにより、自分でも知らない感情・感覚を生み出したり、
ということをしていくんです。
動きの引き出しを増やすという意識ではないのですけど、
結果として、増えているのかもしれませんね。
いずれにしましても、自分を外すことが重要でして、
自分が動いてしまいますと、どうしても常にその自分の音が鳴ってしまいます。
自分の音が大きくて、多少変化をつけても、自分の音の大きさにかき消されてしまい、
観客に届くのは、その人の自分という音ばかりになってしまいます。
動きの引き出しが増えても、音の引き出しが少ないなら、
いい稽古が出来ていない、ということになるわけです。
音の引き出しも身体の変化の仕方ですから、動きの引き出しのようなものですけれど、
ちょっと意味合いが違うということですね。
同じ「動き」といえど、
焦点をどこに置くか?で取り組み方は変わってきます。
身体で表現することをされている方には、大切なことかと思います。
新著
●第1章 バネを利かせる! 地面反力
●第2章 敏捷になる! 股関節の抜き
●第3章 腕に螺旋エネルギーを通す!
●第4章 脚に螺旋エネルギーを通す!
●第5章 触れ方の質を上げる!
●第6章 想いを伝える、届ける!
●第7章 日常生活で動きの質を上げる!
次回アートマイム公演 3月27日