世界を、自分自身を、音で捉えたことがありますか?
自覚はしていなくても、感覚に大きな影響を与えている、耳には聞こえない音があります。
無音の音です。
無音の音は聴覚で捉えるのではなく、触覚的に捉えているとも言えます。
身体も心も、音とともにあります。
これ、来週開催の【心と体のチューニング ~音に触れる~】
の案内冒頭の言葉です。
私が、世界は音で出来ている、音に溢れていると考えるようになったのは、
20年以上前だったのではないかと思います。
アートマイムを学び理解が深まるにつれ、そう考えるようになったんですね。
実際問題として、原子は原子核の周りを電子が周っていますから、全ては何かしらの振動をしていて、
それが波動という言葉にもなるんでしょうけど、波動は音ですよね。
もちろん、色でもあるんでしょうけど、色で考えてしまいますと、観念的になり過ぎで身体から離れてしまうんですよね。
言い換えますと、色では動作・行為に直結出来ない。
私たちは無意識に、どんなものに対しても音を感じている(はず)なんです。
自分自身の音があり、その音と調和されるものを好み、壊すものに不快感を覚える。
私たちは日常、話をしたことがない人に、パッと見ただけで何かしら感じ取っているわけですけど、それはまさに、その人の音を感じているわけです。
それは身体感覚です。
ですから、相手の印象を言葉で説明するときというのは、この無意識の身体感覚が大元にあるので、結局は「なんとなく」としか言いようがなくなる。理由は全て後付けということなんです。
ところで、言葉を発しない身体表現と言いますと、一般的にはダンスを思い浮かべますよね?
ですから、アートマイムもダンス的に捉えられやすいのですけど、
音で考えると分かりやすい、決定的な違いがあるんです。
踊りをされている方には、気を悪くして欲しくないのですけれど、
ダンスは音の範囲が狭く、アートマイムは広いんです。
例えば、バレエとコンテンポラリー、舞踏(暗黒舞踏といわれた系統のもの)、イメージされる音、どうですか? 全く違いますでしょ?
それは、表そうとしている世界が、ある層に設定されているからですね。
そうやって限定されているからこそ、違和感、非日常感があるわけです。
で、アートマイム。
踊りが音を限定することで非日常感を出し、別世界に誘っているのに対して、
アートマイムは世界のあらゆる音を使うことで、日常と繋がりつつ、より大きな世界へ誘っているんです。
優劣ではなく、方法の違いと、誘おうとしている世界の違いですね。
踊りは、その限定された音を研ぎ澄ましていく必要があるでしょう。
アートマイムは、あらゆる音を使いこなす必要がある。
そんな感じですね。
これを別の視点で捉えますと、アートマイムは全ての土台足り得るということなんです。
(土台足り得るがために、魅力が伝わりづらい面があるのも否めません)
と、アートマイムのお話はこれくらいにしまして、
音を意識することで、身体感覚が変わってくることを知ってもらえたらなと思うんです。
声を発することとは、また違った音に対する接し方。
まずは、自分がどんな音を発しているのか?
それを知っていくことは、自分自身との新たな出会い、世界との新たな関係が生まれるのでは?と思います。