全身がつながって動けるかどうか?
身体の使い方として、とても重要なこと。
昔の私もそうでしたけれど、多くの人はつながっていなんです。
全身を動かすことと、つながって動けているのとでは、
全く違うことなんです。
このことを理解出来るのは、つながった経験があるかないか?だと思うんですね。
おそらく、昔の私は理解出来なかったと思います。
ところで、全身のつながり方ですけれど、
和の身体と西洋の身体とでは、大きな違いがあるんです。
和の身体は、あちこちのパーツが無線でつながっている。
西洋の身体は、有線でつながっている。
そんな感じなんです。
ちなみに、和の身体といいましても、今の多くの日本人はどうにもなっていない身体なので、
あちこちのパーツが、それこそただバラバラ、ぐちゃぐちゃで、つながってはいません。
全身が無線でつながっているのか? 有線でつながっているのか?
どういうことか、よくは分からなくても、動きの質がかなり違ってきそうだなとは思えますでしょ?
無線でつながっている。言い換えますと、各パーツに直接的なつながりがない。
ですから、隣り合ったパーツ同士での橋渡し的な連動がないんです。
そのため、動きが、
直線的。折り畳み式。忍者的。角張る。単調。静か。デジタル。
一方、有線でつながっている場合、パーツからパーツへと運動が伝わっていく。
ですから、動きが、
流線的。うねる。粘っこい。切れ目がない。華やか。うるさい。
ざっとこんな感じです。
武術系で嫌われる、居着き、それは無線のつながりが悪い場合で生じる場合と、有線的な動きゆえに生じる場合と、どちらもあるのではないかと思います。
一瞬の素早い動きや、気配を感じさせない動きは、無線の得意とするところ。
加速度を活かしてパワーを強めるのは、有線でないと難しい。
身体表現、身体演技では、有線でないと、つまり無線では、どうしても顔芸になりがち。
また、無線では身体の中に音楽が生まれない。リズムはあるけど。
無線では、脱力が重要。
せっかく無線でつながろうとしているのに、力みがあるとパーツの独立具合が損なわれ、ぐちゃぐちゃになる。
また、無線の場合、手先から動き出して体全体がついていく、といった動き方の方でないと機能しづらい。
体幹から動こうとすると、混乱する。体幹も動かします、同時に手先も動かします、といった結局バラバラなものを同時に動かすだけになってしまう。
手先、足先だけを動かすような盆踊りが出来る。
有線の場合は、体幹、中心からの動きが手先・足先などに伝わる。逆に、手先から動き出して体全体がついていく、といった動き方は難しい。
盆踊りがサマにならない。
ちなみに、日本人が西洋的な踊りをしても、何か違うなと感じるものがあるのは、上半身と下半身が有線でつながっていないままに、それぞれを動かすことで有線でつながっているかのようにしてしまうから。
それと相まって、顔芸のお話ともつながりますけれど、無線的つながりでは、有線が持つ「動き自体の情感性」が生まれないために、どうしても感情表現をしようとしてしまいがちに。
(昔の話になりますけれど、フィギュアスケートの浅田真央選手とキムヨナ選手の違いです。)
と、バーっといろいろ挙げてみました。一長一短です。
けれど、私自身の感覚でいいますと、分野にもよりますけれど、あるレベルを超えている人というのは、ほぼ無意識に、無線と有線の両者を使いこなしているのだと思うんです。
いや、使いこなしていると言いますか、例えば、ほぼ有線で動いているけれど、瞬間的に無線になっているみたいな、そんな感じではないかと。
最後に、こんな動画の紹介を。
(こちらをクリック)
このモデル・ウォーキング、無線的つながりの身体、和の身体では不可能です。
有線でつながっていることが前提です。
ある日のレッスンで、まさにこの感じの歩き方を取り上げたんですけど、
それはこの動画の存在を知る前でしたし、こういった歩き方をしようとしたというよりも、有線でつなげた上でもう一つ大事な要素を加えた身体(正確に言いますと、大事な要素を取り込むと自然と有線になる)で、
しっかり強めに歩くと、自然とこの感じになり、また、ターンなども、自然とこういったリズムや雰囲気になるというものだったんです。
動き方というのは、身体がどんな状態であるか? 今回のお話で言いますと、無線か?有線か?といった前提に大きく左右されます。
ただ、無線、有線どちらにしましても、まずは全身つながっておきたい。それは間違いないことですね。