ある種の質問、これまでに何度かされたことがあって、その度に、おそらく相手が望む答えにはならないだろうなぁと思うことがあるんですよね。
どんな類いの質問かと言いますと、
「〇〇な人たちを相手にするなら、どんな指導をしますか?」
「私の・この人の表現(の動き)をどう思いますか?」
といったものです。
これ、全く違う種類の質問のように見えるかもしれませんけれど、私には同じなんです。
どこが同じか?
目的・目標の設定が無いんです。
何がしたいのか? どのレベルまで行きたいのか?
そういったものが提示されない状態では現状を良いも悪いも(良い悪いでなくても)判断できませんし、さらに、指導って・・・なんです。
何かを判断するには、必ず指標が必要。
私はグループレッスンだけでなく個人レッスンもしているのですけど、その際、何よりも大事にしているのは、話をよく聞くことなんですね。
その人がどこにどう問題を感じているのか?
これまでにどんな解決法を試みてきたのか?
どんなレベルでやっていきたいのか?
そういったことを、私が感じ取れた後で、ようやく普段の動きを見せてもらうんです。観察です。
そこから、その人の望む方向に進むための、有効度の高いアドバイスを探り出すわけです。
もしそのアドバイスが、仮に、AさんにもBさんにも全く同じだったとしましても(そんなことは起こらないとは思いますが)、そのアドバイスを選び出した理由は全く異なるんです。
Aさんの現状と目標、Bさんの現状と目標が全く同じことはありませんから、違う理由での選び出しになるのは当然のことですよね。たまたま結果が同じだったというに過ぎないのです。
それにですね、同じ内容のアドバイスだとしましても、どんな言葉で伝えるかが違ってきます。
受け取り方をみて、言葉を変える必要があるんです。
特に表現(の動き)の場合は、その人が何をしたいのかを把握できないまま感想なりアドバイスを伝えるなら、それはただの私の個人的な好みの押し付けにしかなりませんでしょ?
私がその人の表現(の動き)に何を感じるか?ではなく、重要なことは、その人がしたいことがどの程度実現出来ているか?です。
いずれにしましても、指導なり助言(あるいは感想)は、まずは、当人がアドバイスを欲していることが前提。
それこそ、「〇〇な人たちを相手にするなら、どんな指導をしますか?」というのは、その人たちがアドバイスを求めているかどうかが、全く関係ないところでの話。指導も何もありません。
その上で、その人の目的・目標と現状の考え・実際の動きから、総合的に判断することにしているのです。
といったことですから、漠然とした質問には答えようがないんです。
ただ一方で思いますのは、こういった私にとっては漠然とした質問でも、明確に答えを出す人たちもいまして、私からしますと「強いなぁ」と思います。
この「強いなぁ」には、良い意味も悪い意味も、どちらもあります。
ですから、この強さに対する憧れもありますし、同時にこういった強さは持ちたくないとも思っているんです。
ややこしいですね(笑)
この強い人は、何にも優先させるべき事柄を持っているのだと思います。
何をおいても、まずこれをやるべきで、これをやらないことには先に進めないぞというものですね。
もちろん、私にもあるんですよ。
「エネルギーを通す」です。
けれど、それですら、相手が望んでいるかどうか?
相手が望んでいないのに、エネルギーを通す方法を伝えることは、私には出来ないのです。
色々とお話を聞いた上で、相手が望んでいること・想定している理想像を、良い意味で上回るような結果が出るアドバイスが出来ればなと思っています。
なので、冒頭のような質問には、「どうでしょうねぇ」になってしまうことを、想定しておいていただければ。
【公演のお知らせ】
3月15日(金) 19時半開演(20時半終了)