オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

楽器は、身体の変化の結果が分りやすい。

少し前にお話しましたピアニストの方のプライベート・レッスンをしていて思うんですけれど、
楽器という音の出るものは、レッスンの結果が分かりやすくて、いいですね。


自分の身体の使い方(意識)を変えることの結果が、
自分ではないもの、つまり音として自分で(!)客観的に判断出来るというのは、
練習のモチベーションになりますよね。


マイムやお芝居、踊りは、自分の身体の使い方(意識)を変えることの結果が、
自分自身でしかありませんでしょ?
客観的に判断できない。。。
良くなっているのかどうかが、自分では判断がしづらい。。。

身体の使い方(意識)をどう変えると、どういう結果になるのか?の結びつきが分りづらい、
ということで、そうなりますと、身体の使い方に目を向けた練習をする気がしなくなっていく。。。
結局、振り付けとかネタ、作品づくりだけになっていく。。。



ところで、ピアノのレッスンですけれど、何をしているかと言いますと、
全くピアノ用に考えたものもありますけれど、多くはオーガニックマイムのクラスでも行っていることです。

以前にもお話しましたけれど、私自身ピアノの演奏はまるっきり出来ません。
ですから、レッスンはあくまで身体の使い方。
マイムのレッスンと変わることはありませんで、抜粋しているといった感じなんです。


レーニングに対する私JIDAIの基本的な考え方は、

「真の上達には、ケアにもなるような自然の理に適ったカラダの使い方が必要である。」

とでも言えば良いでしょうか?


身体の構造的に無理があるにもかかわらず、いえだからこそ、頑張ってる感じがするトレーニングをして、痛めたところをケアして、またトレーニングして、またケアして、ということはさせたくありません。

それと、もうひとつ。やみくもに体幹を鍛える、柔軟性を上げる、ということもしません。
あくまで全体の動き、力の発生・伝達の必要性に応じて、行わなければいけないと考えます。



いまピアノのレッスンをさせていただいている方も、ピラティスで学んだお腹を引っ込めて力を入れるという方法(スクープ)をとることで体幹を安定させようとしていたんですけど、
その弊害で全身(特に鎖骨周り)が緊張しやすくなっていました。

今は、体幹の安定方法を変えまして、
本人もびっくりするくらいに、明らかに音が良くなり、楽にボリュームのある音を響かせられるようになったりしています。
以前では絶対に出せなかった音だということです。


と、まぁ、このように音として自分で客観的に判断出来るというのは、本当にいいですよね。

私が「良くなったよ!」なんて言わずとも、本人がしっかり感じますものね。
「おお、これは違う!いいぞ!」って。

これが身体表現系の場合になりますと、私が「良くなったよ!」と言いましても、
本人は「そうですかぁ?まぁ、無理なく動けてる感じはしましたけれど・・・」
といった程度だったりします。

その「無理なく動ける」のが、どれだけ凄いことか!!なんですけどね。。。



ところで、先ほどの体幹を安定させる方法ですが、
最近読んだ高名(らしい)禅僧の方が、座禅の際の正しい姿勢(お腹まわりの使い方)として述べられているものと、全く同じでした。ピラティスとは全く真逆です。

どちらを良しとするかは、もちろん、それぞれの価値観でしょうけれど、私は力を得たようで嬉しかったです。
何しろ、座禅では無理なく長時間良い姿勢を保つわけですし、それも精神状態も含めてですからね。


いずれにしましても、
身体の使い方の稽古といいますのは、一般的な「カラダを鍛える」というのとは、全く違うことですから、取り組みづらい面はあると思います。
しかしながら、結果は本当ははっきり出るんです。

そして、それは単にそれが上手になったというだけではなく、もっと普遍的な本質的なところで、上達しているということなんです。

どんな上達を目指すか?ですね。



Body,Mind&Spirit 本当の自分の身体は天才だ!




マイムから心と身体の平和を


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