「マイムから心と身体の平和を」の”平和”といいますのは、
HAPPY!! というのではなく、
”知る”ということなんです。
「心と身体の闇に、灯りをともす」ということ。
”知る”とは言いましても、医学的な知識という意味ではありませんよ。
あくまで、自分の身体を”感じる”ということです。
自分の動きを”感じる”ということです。
いつもお話していることですけれど、私たちは自分の身体を思いのほか知りません。
感じていません。
本当に感じていたならば、そんなに身体が酷い状態になるまで放っておくわけがありませんでしょ?
例えば、痛んでいると分るものを食べ続けて、お腹が痛くなるなんて、ナンセンスですよね?
知れば知るほど(感じられようになればなるほど)、自然に良い状態を求めます。
もちろん、ときには羽目を外す(無茶をする)こともあるでしょうけれど、
羽目を外した(無茶をした)ことを自覚できますから、早くに元に戻ろうとします。
知らないというのは、”闇”ということ。
私も含めて人は、悪い信号が発せられた時(例えば、痛みがでた時)、
初めてそこの闇が浮かび上がって来るんですね。
つまり普段は、闇であることにすら気がついていない。だからこそ、闇なんですが・・・
浮かび上がって来ると言いますのは、それは灯りがともったと言えるのかもしれませんけれど、それは爆発の明かりみたいなものだと思いませんか?
自らそこを照らすような灯りにしたいですね。
最初のうちは、灯りをともすことで、今まで見ずに済んでいたものをたくさん、たくさん見てしまいますから、
自分のことが嫌になってしまうこともあると思います。
けれど、目をつぶって闇のままでは、いつか思わぬときに目の前に見せつけられてしまうかもしれません。
平和とは、闇の無い状態であり、すべてが照らされた状態です。
見たくないものを見ないでおくことではありません。
全てが理想の状態というわけでもありません。
平和とは、見たくなかったそれを否定するのではなく、
そうと知って、どうするかを考え、様々な選択をすることです。
闇であるうちは、選択はありませんでしょ?
闇なんですから、知らないんですから。
選択ができるというのは、自由があるということ。
選択の無い不自由な状態で、平和はありませんでしょ?
「マイムから心と身体の平和を」の”平和”というのは、
”理想の状態” というのではなく、
”選択がある”ということ。
「心と身体を自分で選択する」ということ。
私もまだまだ道に立ったばかりです。
マイムから心と身体の平和を
オーガニックな(生きた)カラダに