私の生活の中では、恥ずかしながら「教養」という言葉はほぼ縁がないんですけど、
体操のようなものに対して
「これは何にいいんですか?」
という質問がありますけれど、これは明らかに実用性に目が向いているわけですよね。
実用というのは、役に立つか立たないか?が全てでしょうから、
そのかわり、役に立つのかどうかがよく分らない場合は、それこそ何のためにやるの?
ところで、今の時代は小学生といった子どもの時から、
けれど、生活に必要であれば実生活、経験から学ぶでしょうし、
学校、義務教育というのは、実用的なものを教えることも大切でしょうけれど、
いずれにしましても、役に立つ立たないというのは、
「姿勢なんて悪くたっていいのよ。」という人には、
一方、「教養」といいますのは、
もちろん、教養がそのまま実生活で役に立つこともあるとは思いますよ。
けれどそれは、実用というものがその意味の有る無しの判断基準に、
私は体のことも、この「実用」と「教養」というものがあるんじゃないかと思ったんですね。
一般的に、体のことは実用性だけが問題になっているように感じるんですね。
何かをやったら、痩せるとか体幹が強くなるとか、柔軟性が上がるとか。
もう少し分りやすく言いますと、何かをやったら何か実用性のあるものが得られるという、
けれど、何が得られるのかはよく分らないけれど、
知識ではありませんよ。
きっと「体の教養」というのは、ただ楽しいとか気持ちいいとか、ふしぎ~!といったような、
実用性でしか捉えていませんと、広がりはしないと思うんですね。
「この運動はこれこれのため」といったような、誰かに言われた狭い範囲のものでしかなく、
教養であれば、思わぬところで、「あっ!これって、あれじゃない!!」のように、
それは、ある意味、その人の中で学んだものが勝手に発酵したようななものだと思うんです。
このとき、その運動は完全にその人のものになったわけですよね。
教養というのは、実用という面から見ますと、無駄だらけだと思うんです。
おそらく私の身体トレーニングも、いわゆるパントマイムという観点で見ますと、
それがパントマイムの何に役に立つの?ということばかりだと思うんですね。
もちろん、私は役に立つと思っているからやっているんですけど、
ですから、役に立つと思っていると言いながら、
じゃぁ、何に役に立つのか分っていないことを教えているのか?となると思うんですけど、
それは、生徒さんたちもそれぞれそういう感覚があるんですね。
(少なくとも残っている人たちは、そうだと思うんです。
もちろん、そんな生徒さんも始めからそのつもりで、
何だか話がまとまらなくなってきましたね。。。
最後になかば強引に、ひと言でまとめますと、
「実用」はブラッシュアップにはなるでしょうけれど、
「実用」ではブレイクスルーは出来ない。
ブレイクスルーには「教養」が必要。
体に教養を!