オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

言葉に引っ掛かっていませんか?

前回、「私」というものは本来無い。という立場に立つのが、
私たちのアートマイム、オーガニックマイムであり、
舞踏も同じなのであろうというお話をしました。


それを、「我認知する、ゆえに我あり」という言葉にしてみたわけですけれど、



大きな危険が潜んでいるんです。



これは、そのように深く信じるとか、いつも頭に置いておくとか、
そういったことでは決してないんです。


それでは、結局「我思う、ゆえに我あり」なんです。


「我認知する、ゆえに我あり」と「私が思っている」に過ぎない。





以前、「ゾーン」のお話をしました。

スポーツなどの世界でよく言われる、何か超人的なパフォーマンスを発揮しているのに、
非常に落ち着いていて、時間感覚や空間感覚が変わってしまっている状態ですね。


このゾーンに入っているとき、それが「我認知する、ゆえに我あり」だと考えると
分かりやすいのではないでしょうか?




前回、演劇は「我思う、ゆえに我あり」の立場に立っていると言いましたけれど、
個人レベルでは「我認知する、ゆえに我あり」の状態、ゾーンに入っていたりすることもある
と思うんです。


心と身体が一致した、身体が消えたような何ともいえない感覚。
そして、それをもう一人の自分が見ていて、とても静かな状態。。。



いわゆる夢中になるということとは違いますし、
一般的には求めて入れる状態でもないんですね。


「ゾーンに入る」ことも、「私は無い」ことも、

その言葉に引っ掛かってしまいますと、頭が働き過ぎで、

むしろ「私が在る」を強めてしまいかねないんです。




ひとり悦に入っている・・・そんな状態になりかねない。




何故なら、「ゾーンに入る」ことも、「私は無い」ことも、
身体の状態を抜きにしては、あり得ないからなんです。



言葉というものは、後で確認するためにあるようなものなんです。

言葉というものは、出来ている人が、出来ていない人に伝えるのに、
どうしても伝える必要があって、仕方なく絞り出したものなんです。



前々回に、丹田などのお話をしましたけれど、同じですよね。

そういった言葉をありがたがったり、神秘的なものとしてしまっては、全く意味がないんです。



例えば、「優しくなろう、優しくなろう」と考えて、優しくなれますか?

優しい行いをするしかないんです。

極端な言い方をしますと、優しくなろうなんて考えていなくたっていいんです。
優しい行いをすればいいんです。




実際のところ、私も「私は無い」を意識していたわけではないんです。
先日の公演のアフターミーティングでの「自分を消そうとするんですか?」という質問にも、
「自分を消そうとは考えていません」と答えました。


なのに、どうしてそうなれたのか?


実は、アートマイムの方法に秘密があったんです。


ここで、その詳細は省きますけれど、かなり前にお話したことのある
「ヴィッパサナー瞑想」と深い関係があるんですね。






「我認知する、ゆえに我あり」と「思う」のではなく、

(自己陶酔になってしまいます)


「我認知する、ゆえに我あり」だったと「気づく」ようでありたい。







  4月16日 『声(音)を体に響かせる〜身体感覚を磨く 第4回』

            https://www.facebook.com/events/1411875602448249/

                   ※ 次回5月末頃を予定




          5月14日 『JIDAIソロ作品上演』

               https://www.facebook.com/events/1641657376066921/




  7月開講 『アートマイム塾〜シアターカイ本物の俳優修業シリーズ〜』

                https://www.facebook.com/events/805278032881101/






Body,Mind&Spirit 本当の自分の身体は天才だ!




マイムから心と身体の平和を


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