「動きの解体新書」連載開始
第1回「エネルギーは身体のすきまを流れる」
公演
8月3日(金) 21時〜22時
『マイミクロスコープ
〜夜のアートマイム劇場〜』
新作『崩滅』
冒頭、宣伝でした。
ここから、今回のお話です。
先日のクラスでこんなことがありました。
「これって、瞑想ですね。」
けれど、
身体の動かし方の練習でしたから
別の人は
「え? どこが瞑想なんですか?」
「そもそも、瞑想ってどういうこと?」
瞑想に対する関心や経験のあるなしで、
同じことをしていても、
捉え方が違うんですよね。
この動きの練習は
「むしろ、瞑想しようとして瞑想しているときより
はるかに瞑想になっている!」
という言葉があがり
さらに
「気功も、こういう感じですよね。」
「むしろ、気が多く出る。」
経験者からしますと、
瞑想でも気功でも、そのものにトライするより
この動きの練習のほうが、
効果的だと感じられたわけですね。
実は、私の開催しているクラスの稽古は
全て、こういった構造になっているんです。
どういうことかといいますと、
ヨガ経験の観点から見ると、
アートマイムの稽古はヨガであり、
太極拳の観点から見ると、
アートマイムの稽古は太極拳であり、
ボディワークの観点から見ると、
アートマイムの稽古はボディワークであり、
スポーツでもあり、
瞑想でもあり、気功でもあり、
内観でもある。
また、アートマイムに演技の稽古は欠かせませんから、
身体のことだけや、自分自身に向かうだけでなく、
第三者、他者とどう向き合うか?
といった要素もある。
といって、
色々な稽古をしているということではありません。
ヨガのポーズや太極拳の型などを
稽古に取り入れているわけではありません。
全ての要素が詰まっているということなんです。
ですから、レッスンを受ける人は
どこに焦点を当てるかで、
受け取るものが変わってきます。
私としては、最終的には
アートマイムの全ての要素を受け取ってもらいたいのですが、
人にはそれぞれ、ペースもありますし、
関心の違いもありますから、
こちらは、ただ真摯にクラスを行なうだけです。
それでも、
これだけの要素で成り立っているのだと
知らずに参加しているのは、
もったいない。
最後に…
アートマイムを演じますと、
これらの要素がどの程度、習得出来ているかが
はっきりと第三者の目に映るんです。
ですから、
自分勝手な思い込みに陥らず、
地に足の着いた取り組みになるのです。