「分かりやすい」ことと
「伝わる」ことと
一見同じようですけど、
違うことだと思うんです。
話し方、文章の書き方を指南する本、
世に多くありますよね?
単なる情報を伝えるのでしたら、
分かりやすいことと、伝わることは同じことかもしれません。
けれど、伝わるというものを、
相手の心を動かすものとして
考えますと、
伝えたい内容によって、
分かりやすければ、伝わる
というものではなくなってきますね。
舞台作品にしましても、
セオリーのようなものはあります。
そういったものに全く無頓着ですと、
分かりづらく、伝わらないものになる可能性は
極めて大きい。
ですけれど、セオリーが先行してしまいますと、
分かりやすいけれど、
伝わらないものになる可能性が
大きいと思うのですね。
それは、
マニュアル接客のようなものだからです。
なんのための接客か?
接客によって、何をしたいのか?
というものが、
自分の中にしっかりありませんと
マニュアルの体現度合いを見せるだけ
になってしまいますよね。
受け手は、
「よく出来た、接客マニュアルだなぁ」
と感心することはあっても、
接客の内容を受け止めることはありません。
「分かりやすさ」というのは
この手の危険をはらんでいると思うんです。
当たり前のようですけど、
何がしたいのか?
何を感じて欲しいのか?
といったものの熱量が
人の心を動かすわけですから、
それらが薄いままに
分かりやすくしても、
何も伝わるものはありませんね。
セオリーやマニュアルのようなものは、
あくまで、過去の伝わる力を持ったものの
分析結果
でしかありません。
それを
逆に辿っても
元の伝わる力を生み出せるわけではないのです。
ただただ、本当に思いを伝えたいと
真剣に取り組むと、
結果として、セオリー通りになっているかもしれない
というだけです。
身体の使い方の世界と同じですね。
丹田とか軸とか、
自分で発見しなければ、
言葉に酔っているだけで、
意味を成さないように。
と、最後に。
「なんだよ、この文章こそ伝わらないぞ!」
と思っても、
ここはそっとしておいて下さいませ(笑)
9月1日
現在発売中の『月刊秘伝9月号』でも
特別編として5ページに渡り記事を書いています。