「壁」というのは、手先だけでペタペタやるものではないんです。
確かに、手先だけの「壁」でも、見えないことはありませんけど・・・ん~・・いや、やっぱり見えませんね。
いやっ、やっぱり見えます。
上手な人がしますと、たとえ手先だけの「壁」でも、壁に手が吸い付いているように、見えます。
何を隠そう、昔々の私がそうでした。
手先だけの「壁」でしたけど、相当吸い付いていました。
白手袋(!)なんてしますと、驚くべき吸い付きでしたよ。
けれど、そんな「壁」はやはり壁ではなく、ただ手が吸い付いているだけです。
手しか見えてこないんです。
パントマイムは身体表現だというのに、手しか見えてこないならば、手先表現です。
もっといいますと、小手先表現です。
最悪ですね。小手先表現。
まあ、ネタが面白かったり、独特であったりしますと、技術は小手先でも、楽しめるは楽しめますけど・・・それは身体表現ではなく、アイデア表現。
アイデア表現の世界はそれで、十分素晴らしい世界だと思いますけど、身体表現をしようとしているのであれば、やはり、小手先では・・・ですよね。
マイムを「小手先技術+気持ち」と思っている人、多いんじゃありません?
小手先の技術は、特別習うことなくとも、自分でやっていれば身に付きます。
多少のコツを教わることが出来ましたら、なおさら、です。
けれど、小手先表現ではなく、身体表現としてのマイム技術は、よほどの天才でもない限り、習わずに習得することは出来ません。
バレエや、歌舞伎、能、なんでもですけど、独学で出来ると思います?普通は思いませんでしょ。
マイムだってほんとは、一緒なんです。
本当の身体の使い方、呼吸の使い方など、それは、やはり自分ひとりでは難しい。
バレエにしましても、まず、ただ立つということだけで、十分大変な作業です。
きちんと教わりながら、直してもらいながら、それでも簡単には身に付きませんし、身に付いたと思える人でも、必ずいつも正しいポジションかどうか、確かめているはずです。
マイムも本来、そうあるべきなんです。(別にバレエの立ち方が必要というわけではありませんよ)
満足に立てなくて、一体、何が始められるんでしょう?
満足に歩けなくて、何をするというんでしょう?
満足にできるまで、何も出来ない、してはいけないといのではありません。
ただ、満足に立てるように、満足に歩けるように、という気持ちを持ち続けていませんと、いつまでも小手先技術を抜け出せません。
ただ立つ、ということは簡単ではないですけど、きちんと立てるにしたがって、「壁」もどんどん壁らしくなっていくんです。
そうなりますと、ただ、ペタペタやっていた時と比べ、まるで質の違う喜びを、体が感じるようになってくるんです。
そして、やめられなくなるんですね。
「壁」中毒。
中毒になるような「壁」やってみません?