この間の日本舞踊の発表会のお話の時、他人の作ったものを自分のものとして踊るのは、大変なことだみたいなことを、書きましたけど、料理も同じですね。
テレビなんかでよく知られた料理人のお店で、でも料理長はそのひと本人ではないっていうのが、よくありますでしょ。
こういうお店で、物足りなさを感じたことありませんか?
料理長の持ち味が、出せないからではないかなぁ、と思うんです。
有名料理人の味を、忠実に再現しなくてはならず、気持ちがお客の方ではなく、師匠に行ってしまっている。
しかも、最初のうちは師匠の味を鮮明に憶えているので、再現の精度も高いんでしょうけど、どうしても徐々に自分勝手なものになってしまう。
そのときに、忠実でなくてもいいんだ、自分なりの美味しさを新しく発見していくんだ、という気概が持てれば、また許されれば、料理人にとっても、お客にとっても幸せなんでしょうけどねぇ。。。
絵と一緒だと思いましたよ。模写はあくまで模写であって、いくら上手でも、描き手のエネルギーまでは写し取れない。
たとえ絵そのものが多少稚拙でも、描き手本人のエネルギーが、いかんなくぶつけられていた方が、きっと人の心を掴むことが出来ると思うんです。
ところで料理のさらに悪いことには、コストという問題。
商売である以上、切って離せませんけど、有名料理人のお店というだけで、お客が来てしまうので、材料の質を下げて利益を上げる、という誘惑がかなり大きい気がします。
良くない素材で作られた模写料理。こんな悲しいことはありませんが、立派な内装と素敵な器、一見スマートな振る舞いのウエイターさんらによって、美味しく感じさせようと・・・ぁあ・・・
こんなお店はわずかだとは思いますが、ちょっと立て続けに当たってしまい、ひどくがっかりしています。
とはいえ、どうしても見た目の雰囲気に弱いんですよねぇ・・・偉そうなことを言っても、結局俗な人間なんですよぉ~はぁ。。。