オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

2005/10/31 Mon 雰囲気は十分、堪能させていただきました。

この間の日本舞踊の発表会のお話の時、他人の作ったものを自分のものとして踊るのは、大変なことだみたいなことを、書きましたけど、料理も同じですね。

テレビなんかでよく知られた料理人のお店で、でも料理長はそのひと本人ではないっていうのが、よくありますでしょ。
こういうお店で、物足りなさを感じたことありませんか?
料理長の持ち味が、出せないからではないかなぁ、と思うんです。

有名料理人の味を、忠実に再現しなくてはならず、気持ちがお客の方ではなく、師匠に行ってしまっている。
しかも、最初のうちは師匠の味を鮮明に憶えているので、再現の精度も高いんでしょうけど、どうしても徐々に自分勝手なものになってしまう。

そのときに、忠実でなくてもいいんだ、自分なりの美味しさを新しく発見していくんだ、という気概が持てれば、また許されれば、料理人にとっても、お客にとっても幸せなんでしょうけどねぇ。。。

絵と一緒だと思いましたよ。模写はあくまで模写であって、いくら上手でも、描き手のエネルギーまでは写し取れない。
たとえ絵そのものが多少稚拙でも、描き手本人のエネルギーが、いかんなくぶつけられていた方が、きっと人の心を掴むことが出来ると思うんです。

ところで料理のさらに悪いことには、コストという問題。
商売である以上、切って離せませんけど、有名料理人のお店というだけで、お客が来てしまうので、材料の質を下げて利益を上げる、という誘惑がかなり大きい気がします。

良くない素材で作られた模写料理。こんな悲しいことはありませんが、立派な内装と素敵な器、一見スマートな振る舞いのウエイターさんらによって、美味しく感じさせようと・・・ぁあ・・・

こんなお店はわずかだとは思いますが、ちょっと立て続けに当たってしまい、ひどくがっかりしています。
とはいえ、どうしても見た目の雰囲気に弱いんですよねぇ・・・偉そうなことを言っても、結局俗な人間なんですよぉ~はぁ。。。