オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

抽象画とデッサン力と身体表現

急遽決定!6月1日『あらゆる人のためのアートマイム・ワークショップ』




抽象画の画家の方の本を読んでいましたら、面白いことが書いてありました。


その方曰く、


「抽象画を描く力を上げるために、

彩色でのデッサン力(具象画の力)を上げるのが大事。」


だと。



ちょっと、???ではありません?


何となく、抽象画といいますと、イメージ力・発想力が大事で、
何か常人では考えつかない絵柄を思いついて、
その頭の中にある絵を思いのままに描いていくような感じではないですか?


それなのに、「デッサン力」とは。。。



では、なぜデッサン力が必要かといいますと、それは、ひと言でいいますと


「空間の密度を高めるため」


なんだそうです。



小さなキャンバスでしたら、何となくの思いつきでもそれっぽくなるけれど、
大きなキャンバスになってくると、どうにもならなくなってくるそうなんです。
スカスカになってしまう。


スカスカというのは、何も、たくさん描き込めば済む話ではなく、
空間(キャンバス)に緊張感が無くなってしまうということなんですね。



で、その空間の緊張感を高めるためには、
デッサン力を常に磨いていくことが、とても有用だということなんです。


(ですから、空間の緊張感に対してのセンスが元々高ければ、
必ずしもデッサン力が高くなければならない、ということではないとも。)



私はこのお話を読んで、お芝居も含めた身体表現一般について、あることを思ったんです。


それは、身体表現の稽古で、


自分の内側の思いを大事にすることばかりしていると、

表現の密度が高まらないのではないか?

と。



つまり、それは

正解の無い稽古

だから。



絵の話に戻りますけれど、抽象画の正解というのは、よく分かりませんでしょ?
ですから、ある意味、本人さえ良ければ、
何でも抽象画として成り立ってしまう可能性があるわけです。

ところが、先の抽象画の画家によれば、
良い抽象画のためにはデッサン力、具体的なものを描く力が大事だと。
それは、正解のある絵を描く力ですよね。


色にしても形にしても、自分の中のものではなく、
他の人の目にも見える色や形(空間構成も含め)、つまり正解を描き出すということを通して、
自分の中には無かった色や形、空間構成力を自分の引き出しに入れることができる。


それが抽象画を描くときの力(たとえ、具体的なものを1つも描かなくても)になるわけです。



同様に、身体表現でも(抽象、具象にかかわらずですけれど、特に抽象は)、
小さなところで短いものをお友達に見せる程度であれば、
自分の思いのままでも何とかなるかもしれないけれど、
本格的に行なうとなりますと、それでは表現がスカスカなものになってしまうのではないでしょうか?


それを乗り越えるためには、正解のある稽古が役に立つ。むしろ必要。
絵の話から、そう思ったんですね。



そして、では、身体表現での正解のある稽古って何?ですけれど、
それが、私の言うところの身体の使い方を含めたマイム、オーガニックマイムなんだと、
今さらながらに気がついたんです。


(ここが捉えられていないと、
私のクラスでの稽古の成果というものが分かりづらいものになってしまいます。)



私の稽古には、正解があります。
その正解というのは、形ではありません。
身体エネルギーの通り・流れ、空間エネルギーの大きさ・動きといったもので、
決して型にはめるようなものではなく、
むしろその人の本当の自由を手にするために必要な過程となるものなんです。


と、形ではないとは言いましても、
やはり正解というからには、他人の目から見ても正解でなければ困りますよね?



ここで大事なってきますのが、デッサン力の話でして、
それは、

単に表面的な形をなぞるのではなく、その形の真実を描き出す力

だと思うんです。

それが、身体表現の私の稽古では、「エネルギー」という言葉に置き換えられる。



ただの丸いボールを描くのでも、私たち素人とその道の人とでは、雲泥の差が出ますでしょ?
思いを込めても丸いボール、つまり正解にはならない。


身体表現で、形を真似てもエネルギーが無ければ、それは正解ではない。
その形の真実を体現する力が、身体におけるデッサン力というわけです。



デッサン力を高める、正解のある練習をすることで、結果、抽象画を描く力が上がる。
身体表現でも正解の無いところで、思いを大事にする稽古ばかりでは、表現の密度が高まらない。
例えば、「ボールを投げる」といった具体的な表現度を上げることで、
抽象的な動きの表現度、動きの密度も上がるのだと思うんです。


この話題で思い出しましたけれど、
私の師匠のテリーさんがある舞台で、海外から集まった舞踏系ダンサーに交じって、
全くの抽象的な動きをしたことがあります。
本人は抽象的な動きは苦手だと言っていましたが、
その圧倒的な美しさ、エネルギーに、
長年テリーさんに稽古をつけてもらっていた私ですら、衝撃を受けました。
正直、他のダンサーの動き・表現の密度とは比べようも無いくらいでした。



さて、だいぶお話が長くなってしまいました。。。


最後に・・・


正解のある稽古を大事にして、正解の無い表現の密度を高める。


どうでしょうか?




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