ポーリッシュマイムの演技術といいますのは、「型」に近い、明解な理論がありまして、それは、
呼吸の扱い
間の扱い
空間の扱い
内なる音の扱い
に特徴があります。(まだ他にもあるとは思いますけど)
いつもお話していますけれど、一般的にパントマイムの演技といいますのは、個人の感性任せです。
ですから、ある程度のマイムテクニックが身に付いた後は、作品作りをするしかなくなってしまい、演技の勉強は、
ただただ実践あるのみ、といった感じになってしまいます。
確かに、「型」みたいなものを身に付けることは、容易ではありませんし、「型」を見せるわけでもありませんから、
自由に演技した方がいい!
となってしまいますよね。
ただ、よほどの才能があれば別かもしれませんけど、演技の幅が狭くなりやすく、壁にもぶつかりやすいと思うんです。
個人任せといいますのは、要するに、その人ひとりの力。
「型」というのは、何人もの先人達の力の結晶。
きちんとした方法論を身に付けておくことは、決して不自由になることではなく、自由を手にすることです。
ポーリッシュマイムの理論には、何の無理もありません。(奇妙なことをするわけではなく、普遍的な身体感覚に基づいていますから)言われれば、ごく当たり前のようなことだったりします。
けれど、言われるまで、まず気が付くことのないことなんです。
しかも、その当たり前のことが、言われてもなかなか出来ない。(心と体と呼吸の一致は、容易ではないということですね)
そういった意味におきましては、特別なことを身に付けるというよりも、当たり前のことを身に付ける、ともいえるかもしれません。
であるのに、その一見些細なことの積み重ねが、人に伝わる時、大きな違いになるんです。
本当に演技です。
マイムという狭い世界の話ではありません。
ポーリッシュマイムの素晴らしさ、楽しさは、想像以上に幅も奥行きも広いものなんです。