オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

和太鼓とピアノ

和太鼓の「打つ」「叩く」のお話をしましたけれど、
ピアノでも同じでは?と思うんです。

私自身は全く、ピアノの経験はありませんし、あったからと言いましても、どの程度の質の経験かにもよりますからね、あればいいというものでも無い。
ということで、お話、続けさせていただきますね。

「打つ」と「叩く」の違い・・・

「打つ」は体重が使えていることで、「叩く」は腕力。

もちろん太鼓の稽古をつける際には、腕の力を抜いてって、言うんでしょうけど、体重の使い方が分らなければ、力の抜きようがありませんよね。

それでも抜いてしまいますと、情けな~い音になってしまいますし、結局、バチが太鼓に当たった瞬間に、腕は力んでしまっていますから、やっぱり抜いたとは言い難い状態です。

同じように、ピアノも体重が使えませんと、いい音にならないんだと思います。

音の深さといったらいいんでしょうか?

腕に力が入っていますと、太鼓でも鍵盤でも、バチや指が触れて(当たって)からの、

伝わる力のベクトルが短くなります。

体重が使えますと、

ベクトルが長くなります。


この長さが「打つ」と「叩く」の違いなんだと思うんです。

ピアノも「打つ」ように弾きますと、きっと音が深くなり、奥行きみたいなものが生まれるのでしょう。

恐らく、いち音を聞いただけで、分る人には分かってしまうであろうと、想像できます。
場合によっては、弾こうとした瞬間の、息を吸った時にはもう、分かってしまうのかもしれません。
体重が使えるかどうかは、そういう世界のお話だと思います。

つまり、呼吸と体が一致していませんと、体重を使えませんから、吸った瞬間に分るだろうと思うんです。

そして呼吸といいますのは、体を上手に使うための道具であると同時に、気持ちを乗せる道具でもあるわけですから、気持ち即ち呼吸と一致する体をつくるということは、何にもまして、重要なことだろうと思うんです。

演奏テクニックはテクニックとしまして、作り出す音のベクトルの長さは、そのまま聞く人の心に染み込む長さ、深さになるのではないでしょうか?

私もベクトルを長くしませんと・・・です。