オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

意識の密度

前回、反応ということをお話しました。


反応にはまず、感情とは関係のない、物質的といいましょうか、機械的といいましょうか、
そんな反応がありまして、一番最後に感情なんですね。


ですから、オーガニックマイム(ポーリッシュマイム)では、


何かを見た、触れた
 ↓     ↓
そのものが、固いのか、柔らかいのか?
大きいのか、小さいのか?
 ↓     ↓
そして、どんな気持ちを抱いたのか?


といった順序で身体を動かしていくんです。
説明ではなく、身体で表現していくんですね。



これはかなり大変な作業でして、私も最初の頃は戸惑いました。
普通に動いてしまいますと、こんなに順を追わずに、全部の行程を一度でやってしまうんです。


つまり、何かを見たり触ったりした瞬間に、嬉しいとか嫌だとか。



この日常的な、全部の行程を一度でやってしまうという行為を破るための、
ヴィパッサナー瞑想がありますけれどは、
オーガニックマイム(ポーリッシュマイム)では意識的に創造していくといったところでしょうか。


日常生活の中でヴィパッサナー瞑想を行っていくのは、かなり大変ですよね。
けれど、少なくともマイムの中では、この練習の繰り返しにより身に付けることで、

時間の密度が変わってくるんです。
時間の密度と共に、空間の密度も変わってきます。

といいますのも、一見同じような行為でも、
その中で味わっている時間や感覚が、意識していないときと比べ、はるかに豊かになるんです。



たとえば、1秒という時間。

これを1秒が1個だと感じているのか、0.1秒が10個集まったものと感じているかでは、かなり違う世界ですし、0.01秒が100個ならば、それこそ全く違う世界を体感していることになりますでしょ?


時間でなく空間でも同じですよね。


1秒で1センチ進むのか?
0.01秒の100倍に時間をかけて、0.01センチの100倍の距離を進むのか?


秒速1センチということに変わりはありませんけれど、本人の体感する時間も空間も全く違いますし、そうなれば観客の体感するものも、自ずと変わってきますでしょ?



オーガニックマイムでは、一般的なマイムテクニック以上に、こういったことを大切にしたいと思っていまして(いえ、もちろん、そのことによってマイムテクニックも、違った密度で行えるようになるんですよ。)、これを頭で理解するのは簡単ですけど、身体を一致させるのはやはり、訓練を積むしかありませんね。



マイムを演じる上で、次から次へと起こる(作っていく)反応の、それぞれに相応しい形や動き、スピード・・・


オーガニックマイムを練習していきますと、だんだん動けなくなります。
でも、それはいいこと。


動けなくなってきたということは、無意識の反応が減ってきたということ。
それだけ意識の密度が高くなってきたということ。


その先に、一見なんでもない動きが、どこか違うと感じさせる世界があるんですから。