全身が繊細に動き、自分の意思が無理なく反映できるようになりますと、
身体表現力を上げられます。
けれど、必ず上がるか?と言いますと、
そうとは言えない。。。
絵筆を自在に操れるからといって、
素晴らしい絵を描けるわけではない。
何を表現したくて、その絵を描くのか?
そのために、どんな構図が良いのか?
どんな筆捌きが適しているのか?
どんな色をどう置いていくと効果的なのか?
こういったことは、
絵筆を自在に操れることとは、全く別物ですよね?
身体表現でも同じ。
特に、
何を表現したいのか?の理解が重要です。
身体の動きは、自分の意思の反映ですから、
意思が間違った方向に向いていますと、
当然、良い表現としての動作にはなりませんでしょ?
身体表現力とは、上手な動きの能力ではなく、
立ち上がらせるべき世界(雰囲気)を生み出す力。
立ち上がらせたいものへの理解が浅ければ、
薄っぺらな表現になるのは、当然ですね。
身体能力の問題ではない。
身体の使い方は技術力であって、
表現力とは別の力。
これ、実は、恥ずかしながら、
私の歌にそのまま当てはまるんです(涙。。。)
ただまぁ、歌の場合、理解が浅くても、
全体の設計・・・強弱をどこでどうつけるか?などが良ければ、
それなりに上手に聴こえます。
聴こえますけれど、
カラオケが上手いだけの人と、プロの違いがありますね。
プロは、理解の深さが設計に繋がっていて、
カラオケが上手いだけの人は、例えば、その設計をなぞっているだけ。
自分の理解ではないので、自分の歌にならないわけです。
とはいいましても、なぞれるだけ凄くてですね、
私の歌はなぞれもしない・・・
あぁ。。。
と、私の歌はさておき、
いくら身体の使い方が良くても、
何が良いのかの設計が悪ければ、当然良い表現にはならないのです。
ちなみに、「設計」「設計」と言っておりますけれど、
こういったものが「なんとなく感覚で」出来てしまうことを
「生まれ持ったセンス」があると言うのですね。
さてそこで、身体の使い方が良い人にも、
演技指導が必要になるのですけど、
これも、やはり歌と同じでして、
良い設計をきちんとなぞることが出来ますと、
それなりの表現にはなるんです。
けれど、
本当に届くものにはならない。。。
カラオケが物凄く上手でも、カラオケが上手いだけの人が
プロの歌い手さんに混じりますと、
何だかよく分からないけれど、全く違うなと感じたことありませんか?
それは、「世界」を創れていないからです。
「世界」を創ることと上手い下手は、また別のことなんですね。
最後に。
身体表現力を上げるために、
自分の意思が純度高く反映できる身体にすることと
合わせて、
深い理解のもとでの良い設計ができるようになること。
私は、大切だと思っています。
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