すぐに肩が上がってしまう、肩に力が入ってしまう。
といった力みは、指摘されますと、本人も大抵は分かりますよね。
それでも、なかなかその癖は抜けないわけですけど、
それはさておき、
肩以外の力みは、指摘されても分かりづらいもので、
だからこそ、厄介度は高いんですよね。
特に体を支えている腰・脚・股関節周りは、
何か特別なことをする時でなく、本当に普段から、
何もしていない時ですら、
必要以上に働かせてしまっていますから、
多少の力みなんて、分かりようもないわけです。
立っていようと、横になっていようと、
動くときは体を支える必要があります。
ぎっくり腰など腰を痛めていますと、
寝返りすら苦労します。
その支えの時点で、すでに力んでいれば、
そこから派生する動き、歩くにしても手を伸ばすにしても、
あらゆる動作において、より強い力みが生じるのは、
どうにも避けがたいわけですね。
しかもですね、
「支えの時点で、すでに力んでいれば」と言いましても、
当然力んでいる感覚はないわけでして、
むしろ、支えるための絶対必要な力になってしまっているんですね。
ですから、そこの力を抜くというのは、
それこそ立っていられないといったような、
何も出来ない状態、完全腑抜けの身体になるのと同じことだと、
思ってしまうんです。
手放せないわけです。
そして、負荷の大きいことをやってきていますと、
ますます、その筋肉たちは、強くなり、同時に鈍感になっていきます。
その一方で、体を支える筋力が強くなっていくがために、
結構色々出来てしまうんですね。
結果がついていくると言えばいいでしょうか?
この辺りのことが、高い成績を残しているスポーツ選手でも
身体の使い方が必ずしも良いわけではないということに
つながっているんです。
ですから、必ずしも力みがあると良い結果を出せないというわけではないんです。
ただ、動きの質という点では、結果の良し悪しとは関係なく、
力みがあるのは、質が悪いと考えるわけです。
つまり、質が悪くても筋力でカバーする方が、
その人にとって楽か?向き合う気力が湧くか?
それとも、質の高さで少ない筋力をカバーする方が、
その人にとって楽か?向き合う気力が湧くか?
そういうことだと思うんです。
で、私は後者を勧めているということなんです。
さて、お話を戻しまして、
体を支えるための腰・脚・股関節周りの力みは、
(支えることと無関係の筋肉でも同じですが)
自分の感覚では決して分かりませんし、
だからこそ力みなんですけど、
改善するには、とにかく感覚に頼ってはいけないということなんです。
「そこに力を入れてる感じはない」というのは
全く当てになりません。
そこで、重要になるのが、
自らその箇所、腰などの筋肉に触れて状態を感じることと、
鏡などで自分の姿を見ること。
鏡で見る場合は横からの姿が大切です。
腰・脚・股関節周りの力みは、横から見た時の姿勢に現れやすいですから。
そして、触れながら、見ながら、
力みを取るべく姿勢を調整していく。
その際、姿勢をほぼ変えないようにしつつ
骨の位置を微調整するといいんです。
慣れないうちは、骨の微調整を難しく感じるかもしれませんけど、
あまりに大変であれば、
「質が悪くても筋力でカバー」の道に進む方がいいかもしれません。
そこは選択ですね。
力みといわれるもの、あるいは、
力みとはいわれていなくても実は力みであるもの、
それらとどう向き合うか?
そんなお話でした。
アートマイム公演 2月8日(火) 公演写真