目と目を見つめ合うと、お互いの脳がシンクロするらしいんです。
そのような研究があるんですね。
授業中の先生と生徒の脳にも、やはりシンクロが起きていて、
シンクロ率が高いほど、授業内容の理解度が高いと。
こういった脳の研究から、思ったことがあります。
それは、動きのレッスンを受けている、その時は、
とても良い感じで動けたにもかかわらず、
家に帰って、自分ひとりで同じことをやろうとすると、
「あれ?何か違うなぁ、同じようにやってるはずなんだけど・・・」
となることがありませんか?
それは、この脳のシンクロ、
つまり、レッスン中は目の前の先生と脳がシンクロしていて、
必要な脳の回路が無意識の下に活性化していて、
けれど、ひとりになるとそれが生じない、
意識で捉えている部分しか脳が働かないために、
あれ?何か違うなぁとなってしまうのではないかと。
単純にミラーニューロンが働くかどうか?なのかもしれませんけど、
そうだとしましても、シンクロであることには変わらないですよね。
先生と脳が、ある意味同じになるので、先生と同じような感覚の良い感じで動けるわけです。
と考えますと、シンクロしない人は、
良い感じを得づらくなるのは、ある意味必然だと思うんです。
では、シンクロしやすい人としづらい人の違いは何か?
それは、「自分」が強いかどうか?ではないかと思うんです。
「自分」が強い人は、字からも分かるように他者が入り込むスペースが小さい。
当然、シンクロしづらい。
ただ、ここでいう「自分」が強いというのは、性格がキツいというのではなく、
「自分の思考」が強いという意味合いです。
脳の中で「自分の思考」の回路にだけ信号を働かせてしまい、
他の回路が働かないようにしている感じですね。
思考によって分析はするけれど、シンクロはしない。
で、大抵の場合、教わる動きというのは未知の動きなわけですから、
分析し切れるものではないんですよね。
シンクロ出来るタイプの人は、その未知の分析しきれない部分を、
シンクロによって補っていて、だからこそ、その場では良い感じで動け、
けれど、ひとりになるとあれ?となる。
ところが、分析しか出来ない、シンクロを受け入れない人は、
未知の部分を補いようがないわけです。
もちろん、身体的に働きの悪い部分があって、
上手くいかないということはありますよね。
ただ、その働きの悪い部分というのが、
本当に何かしらの障害的なものであれば、
物理的に無理なわけですけど、
そうでないならば、
そこが働かなくなってしまった、
これまでのものの見方・捉え方の結果だと思うんですね。
ですから、
目の目に先生がいる時、つまりレッスンの場では
出来るだけ分析は抑えめにして、
後でひとりの時に徹底して分析する。
そうすると、分析力が活かされると思うんです。
一方、その場では良くても、ひとりになるとあれ?の人は、
あれ?となった時に、分析を深めるようにする。
あれ?のままの人は、感覚頼りと言いますか、
ひとりになっても雰囲気だけでやろうとしてしまっているのかもしれません。
それが必ずしも悪いわけではありませんけど、
何か違うなぁと思ったなら、
自分がレッスンの場で何を理解していたのか?
先生は何をやらせようとしていたのか?
思考を働かせられるといいのではないかと思います。
脳のシンクロ、面白いでね。
アートマイム公演 2月8日(火) 公演写真 次回は8月22日(月)