身体の使い方を良くしていく際に、
相手を力感なく押したり倒したりといったものがあります。
こういった他者になんらかの作用を及ぼす行為は、
結果が分かりやすいく、楽しさがありますよね。
他の武道系のものと比べて、
強さを競うのとは違った興味で参加する人が多いと思うんです。
心の持ち方に関心があって、という方も多いでしょうね。
身体(心も)の使い方って、漠然としたところがありますから、
こうして、他者にどういった感触の力を流せるか?といった稽古は、
その精度を高めるのに、とても有用だと思います。
私のクラスでも、コロナ以前は時々取り入れていました。
けれど、気をつけないといけないことがあるんです。
と言いますか、
他者に実際に何かをしなくても、
同じ力の発揮のさせ方が出来ているかどうか?
それを分かる力を身につける必要があると思うんですね。
つまり、他者がどうなったか?でしか、自分の力を見れないままでは、
つい筋力頼りになってしまったり、
本来学ぶべき動作ではない動きで、結果を出そうとしてしまったり、
あるいは、相手が意識的、無意識に関わらず忖度したりして、
なんだか上手くいっているような気になってしまう。。。
これでは、心の持ち方は特に何も変わりませんし。
そんなこともあり、私のクラスで取り入れると言いましても、
あくまで時々だったんですね。
そもそも、どんな技が可能なのか?を考えて
身体づくりをしているわけではないこともあり、
技そのものをそんなに知りません。
ですから、取り入れると言いましても、
どれくらい普段の教えを身体に入れられているか?間違っているか?の確認であったり、
ちょっと目先を変えた、楽しい遊び的な時間にするためなんです。
また、技そのものではなく、
空間や間合いといったものも、
表現のクラスでは重要な要素として練習してもらっていますが、
戦うといった意味での相手との心理戦のようなものではなく、
あくまで、観客の意識を誘導するすべとして、学んでもらっています。
けれど、おそらく、そういった技術は、
戦いや、あるいは施術、接客といった分野に応用出来るはず。
何が言いたいかと言いますと、
結果を求めすぎた学びは、実は結果が得られない可能性があるということ。
結果を出そうとするのではなく、出せるようにという学び方が、重要ではないか?ということ。
これは、冒頭の
「結果が分かりやすいく、楽しさがあります」
とは反対の世界かもしれません。
技が出来るようになりましょう、ではなく
「技が出来てしまう身体になりましょう」
です。
実は、巷に溢れるエクササイズも同じです。
エクササイズを練習してしまいがちですけど、
そのエクササイズが出来てしまう身体になることが重要だと思うのです。
この辺りのお話、楽しみ方の違いとも言えますから、
それぞれご自分の考えでいいんですけど、
こういった考え方があることを知ると、
何か変わってくるかもしれません。
本当は何を求めているのか?
新著 9/30発売!
●第1章 バネを利かせる! 地面反力
●第2章 敏捷になる! 股関節の抜き
●第3章 腕に螺旋エネルギーを通す!
●第4章 脚に螺旋エネルギーを通す!
●第5章 触れ方の質を上げる!
●第6章 想いを伝える、届ける!
●第7章 日常生活で動きの質を上げる!
次回アートマイム公演 3月27日