身体の使い方を良くしていく際、
言語化、分析の力は非常に重要なことだと思います。
オリンピック金メダリストを生み出したコーチも、
その重要性を説いているようですね。
で、そうなりますと、なんだか私たち一般人とは別世界の話でしょ?
となってしまうと思うんですけど、
私はそんことはないと思うんです。
運動センスに恵まれているかどうかは、関係ない。
確かに、オリンピックに出られるような人は、
持って生まれた能力が高く、
特に何も意識せずとも、
私たち一般人よりはるかに高いレベルで動けるとは思うんです。
それでも、そういった人たちの集まりの中で抜きん出るには、
生まれ持った才能だけでは足りず、
自分の動きに対しての言語化、分析の力が、大事になってくる。
そういうことだと思うんですね。
それは、一般の人も同じで、結局のところ、
特に意識しないで動けている状態のままに、
エクササイズ、トレーニングをしましても、
あまり変わらない。
単に、筋力がアップしたり、柔軟性が増したり、というだけ。
そもそも「動く」といいますのは、
全身の協働によるものですよね。
協働にとって重要なことは、ネットワークです。
あっちの部位、こっちの部位といった全身に散らばる数多くのパーツが、
一つのネットワークで繋がっていて、初めて全身の協働が可能となりますでしょ?
そのネットワークに目を向ける。
それが、言語化、分析の力ということだと思うんです。
ネットワークに目を向ける力は、言語化、分析の力として現れてくるということでもあります。
(身体の外、空間や相手とのネットワークは、一旦置いておきます)
このネットワークに目を向けられるかどうか?
これが、身体の使い方を良くする鍵だと思うんですね。
運動センスの良し悪しではない。
ですから、オリンピックに出られるような人でも、
ネットワークに目を向ける力、つまり言語化、分析の力が弱い場合、
長く良い成績を残すということが難しい。
持って生まれたもの、タイミングによって、
一時的に良い成績を出せても、それっきりみたいな感じに。
逆に、運動センスの無さそうな人でも、
何かをきっかけに、ネットワークに目を向ける力、
言語化、分析の力がついてきますと、
当人も周りも思ってもみなかった、質の高い動きが出来るようになってしまう。
私はそこに希望があると思っているんです。
で、こうして発信し続けているわけです。
前回、身体の使い方を良くする必要はないと言いましたけれど、
良くしたいのであれば、
特に意識しないで動けている状態のままに、エクササイズ、トレーニングをするのではなく、
ネットワークに目を向け、他人の言葉の受け売りではなく、
自分自身の言葉にしていく必要があるということです。
他人の言葉の受け売りでエクササイズ、トレーニングをするのは、
その他人の人生を生きていることになってしまいます。
自分の人生に責任を持っていない行為なんです。
オリンピックに出られるほどの才能を持っていても、
他人の言葉でトレーニングをしていては、
他人の人生を生きていることになりますから、
本当の意味で、自分の力が出ることはない。
自分の人生が輝くことはありませんよね。
こういった点は、みんな同じ。
身体の使い方を良くするという意味だけなく、
自分の人生を歩むという意味でも、
自分がしていること、自分に起きていることの
言語化、分析は大事かと思います。
けれど同時に、言語化、分析しきれないものがあります。
全てを言語化、分析出来ると思うのは、傲慢です。
そんなことも大事にしながら、
それでも出来るだけ言語化、分析していけたら良いなと思います。
新著
●第1章 バネを利かせる! 地面反力
●第2章 敏捷になる! 股関節の抜き
●第3章 腕に螺旋エネルギーを通す!
●第4章 脚に螺旋エネルギーを通す!
●第5章 触れ方の質を上げる!
●第6章 想いを伝える、届ける!
●第7章 日常生活で動きの質を上げる!
次回アートマイム公演 3月27日