先日、久しぶりに屋外パフォーマンスを見てきまして、あらためて思うことがありました。
以前からお話をしていることではありますけれど、
世界観、美意識といったものがあるか?です。
どれだけビジュアル面を良く(人目をひく)しても、世界観がありませんと、動きや表情が上っ面のものになってしまうんです。
で、これは逆説的かもしれませんけれど、世界観が無いが故に、ビジュアルですら実は隙が生じてしまい、それほど良い感じには見えないんです。
簡単にひと言でいいますと、
世界観の無さが、もれなくどこにも現れてしまう。
ということなんです。
世界観とは、例えば、動きに関してですと、何も特殊な動きや素晴らしい動きが必要なわけではないんです。
俳優・役者はダンスやパントマイムの人たちのような動きは出来ないかもしれませんけれど、役柄の人物になるということが重要ですよね?
役柄の人物として動いているか?行動しているか?
その動き方が重要。
さらに、その役柄の人物が着る服や持ち物も、その人物だったらどんな服を着るか?といったことになる。
全てが、その人物の表れ。
簡単に言いますと、
その人ならこうだよね、その人ならあり得るよね、と思えるかどうか。
それが世界観として観客に届くわけですね。
ところが、パフォーマンスなどでビジュアル面を良く(人目をひく)することが得意だったりしますと、人物像が無いままに作ってしまい、なぜそのビジュアルなのか?がキャラクターと関係ないものになってしまいます。
あるいは、特殊な動きをするのが得意ですと、ただ特殊な動きを見せるだけになり、キャラクターが無くなるかもしれません。で、キャラクターが無いにも関わらず、ビジュアル面だけでキャラクター性を出そうとして、結果、底の浅いものになってしまう。
また、無表情に淡々とカッコいいこと(サーカス芸的なマジカルなもの)をするのも、それはそれで、やはり世界観があってこ成立するもの。憧れだけでやってしまいますと、表面的になってしまいます。
こんなお話をしているのは、
人は何に魅了されるのか?
ということを、いくらかでも知ってもらえたらと思うから。
(私自身が、特殊技術に特別関心が高いタイプだったからこそ、よく分かるんです。)
屋外パフォーマンスを久しぶりに見たことをきっかけに、世界観の大切さのお話になりましたが、
私の指導しているアートマイムでも、同じこと。
特殊な動きが出来れば良いわけではないということです。
また、言葉を使わずに何かが表現出来たからといっても、どうということもないんです。
世界観があるか?です。
その世界観の下に、作品の構造・構成があり、衣装などビジュアルがあり、人物像があり、動作・行動があり、音楽があり、照明があり、タイトルがある。
単体でどんなに素晴らしくても、世界観に合わなければ、それはノイズでしかないんです。
身体表現が特殊な動きをすることだけになってしまいますと、身体運動表現になってしまいます。
だからこそ、アートマイムでは動きが消えてくれるように動くことが重要になってくるのです。
・・・お話がそれてしまいますね。
自分の世界観、美意識に目を向けてみてはいかがでしょう?