ゾーンに入る・・・
ちょっと神秘的な感じがしますよね。
この感覚を経験したことのある人が過去に何人か受講されているんですけど、こういった人はJIDAIメソッドの理解が早いです。
「あ、この感覚!」
と、ワークの中で気がつきます。
気がつくので、そのワークの重要性が分かるわけです。
こういった感覚に導くワークはいくつかあるのですけど、基本的にゾーンという言葉は使わず、他のワークと同じような感じで取り組んでもらうようにしています。先入観が生まれないように。
ですからと言いますか、もちろん一般の人でも「気持ちいい」とか「瞑想みたいな感じになる」といった感想が自然に出はします。
私としましては、どう受け取ってもらってもいいのですけど、やはりゾーン感覚を掴んでもらう、ゾーンに入りやすくするため、という意識でやっています。
こういったものは、受け手次第だと思っています。受け取れる段階にあるかどうか?受け取れる感性があるかどうか?です。
もし、感じられないにもかかわらず、私からの「これはゾーンに入るための」なんて言葉が強く印象に残ってしまいますと、変なところに価値をおいてしまいますでしょ?
言葉をありたがるみたいな。
言葉をありがたがるようになってしまいますと、悪い意味での宗教になってしまいます。
正直、世の中、そういった宗教的な感じでエクササイズをしている人は多いように思いますし、指導者(スクール)側もそれを利用しているように感じることは多いですね。
少しお話それますけれど、体を悪くして治療を受けに来ているにもかかわらず、「私は〇〇を長年やっているから、そんなことは分かってます」みたいな態度をとる人がいると、何度か聞いたことがあります。
こういった人は、完全に言葉をありがたがっているだけの悪い意味での宗教として、その〇〇をやっているわけです。
と、そんなことで、ゾーンに入るというちょっと神秘的な感じの、あるいは憧れのものに対して、一定の距離を取っていられるようにしているんです。
ですから、自分はそんなすごい人ではないと思っている人も、
「気持ちいい」と思ってもらえるだけでも、十分!なんです。
「瞑想みたいな感じ」なんて感じられるなら、十分過ぎる!なんです。
さて、お話戻しまして、ゾーン感覚を持っている人たちは、それでもその経験は、偶然・調子の良い時といったことなんですね。
それが、意識的に、意図的にこの感覚(近い感覚)になれることに驚きを覚えるわけです。
それも、何十分もかけてではなく、簡単にスッとですから、なおさらですよね。
ゾーンに入るとは、瞑想状態で活発に活動することだと考えているのですけど、それに近い感じの「夢中」。
もし、その夢中が、ただ感覚を閉ざして自分に無理強いするといった頑張りだったしたらどうでしょう?
このような夢中の先にゾーンがあると思っていませんでしょうか?
絶対に違うとは言い切れませんけれど、少なくとも全く逆の視点があるということは確か。
どちらの道を選びたいか?かと思います。
ところで、ゾーンに入るということに対して、なぜ私が神秘化せず一定の距離を取っていられるのか?ですけれど、それは、アートマイムがゾーンに入っていることが前提だからです。
ゾーンに入ることが目的でもないですし、憧れでもないからです。
アートマイムは表現技法だけでは成り立たない。この感覚を維持できないようでは困るんです。
(ですから、パントマイムではなくアートマイムと謳っています。)
私自身が神秘に飲み込まれていれば、神秘として売り出すことで多くの人が集まってくるのかもしれません。けれど、そういった宗教活動にはしたくないんです。
ゾーンに入るということでもいい、気持ちがいいでもいい、そんなワークがさりげなく入り込んでいるのが普段のクラス。
長く楽しんでもらえたらと思います。