少し前の記事で、
Aさんの「これは想像を超えた感覚で、何らかの方法で思考と感覚の繋がりを打開できないと、簡単にはたどり着けないと思いました。」
というお話を取り上げました。
(こちら)
その際、「これは試行錯誤によるエネルギーが凝縮していき爆発するみたいなこと」だとお話をしたんですけど、その後、本人から連絡がありました。
何がきっかけで打開できたのか?
その引き金は?
答えを言う前に、実は私自身の事を考えましても、これが大きかったと思いますし、今でも大きいと思っていまして、実際、20年以上前ですけれど、当時のクラス生にこれをしてみないか?と提案したことがあるんです。
もちろん、これの効用の大きさを分かっていてです。
いえ、むしろ、これをしないから、あるところから停滞し、乗り越えられない壁が出来てしまうのだろうと見えていたんです。で、これをすることで、壁を乗り越え先に行けるはずだと。
当時、これをした方がいい候補者は数人いました。けれど、みんなに断られました。
言い分は、もっともだなと思ったので、他で自主的にでもやってもらえたらいいなと、諦めたんですよね。
その後、別のクラス生のひとり、長く停滞していた人に、同じことを提案したことがあるんですけど、全くその気はないようで、実現しませんでした。
(その人は打開というほどのことはないにしても、それなりには進んでいます。)
さて、打開のきっかけ、何か想像つきましたでしょうか?
答えは・・・
「指導」
です。
Aさんのお話に戻りますと、お子さんにフィギュアスケート向けの身体の使い方を指導し始めたことがきっかけだったようだと。
Aさんはスケートは出来ないけれど、バレエの先生もする人。(ただ、もうずっと長いことアートマイム専門です。)
で、こういった場合、一般的にはフィギュアスケート向けにとバレエのレッスンをしてしまうと思うんですけど、Aさんはお子さんに無理にバレエはさせずに、「エネルギーをどう通すか?」に集中して教えるようにしたそうなんです。
始めは上手く指導出来るか不安だったそうなんですけど、自分自身の練習・研究の時よりもむしろ良いアイデアがポンポンと出てきて、自分でもビックリ!するくらいで、その成果は、フィギュアスケートの先生がお子さんの成長の早さに驚いていることにも現れていると。
20年以上前にクラス生に提案したのは、私の代わりにレッスンをするというものだったんですけど、他の受講者は私JIDAIの指導を受けたいだろうから、(指導出来るかの不安もあるけれど)代わりにレッスンすることは出来ないといったことで、当時は諦めたんですけど、やはり、指導、アウトプットは重要なんですよね。
Aさんが「自分自身の練習・研究の時よりもむしろ良いアイデアがポンポン」と言っていることに現れいますけど、インプットだけでは実はそこまで深く、教えられた内容を理解出来ていないものなんです。
指導するとなりますと、自分よりも出来ていない人に体感してもらえるようにする必要がありますから、自分が何を理解しているのかが問われるわけですね。
理解が甘ければ、ひっちゃかめっちゃであれば、そのまま伝わってしまいます。
指導することで、自分の中身を整理出来ると言えばいいでしょうか?
(学び取ったことを教えるのではなく、教わったことを教える人は、整理の必要性が生まれないので、この打開のお話は当てはまりません。教え方としての整理は出来ても、学び取ったことの整理は不可能といいますか、そもそも学び取っていない。)
他人を指導するということは、自分自身を指導することになるということですね。
教わったことに一所懸命取り組むのとは、全く質が異なります。
そうしますと、戻って、自分が教わる時の理解度も自然と上がりますから、好循環。
指導というアウトプット、役立つ人は多いかと思います。
「情けは人の為ならず」みたいなものですね。