身体の芯、奥深いところが動くかどうか?
非常に重要なポイントになるがゆえに、なかなか手強い。。。
今もあるのか分かりませんけれど、インナーマッスルを意識して動かしましょうみたいなもの、そういったものではどうにもならないから手強いんですけれど、では何が原因で手強いのか?
内面なんです。
頑な。エゴの強さです。
自分は変わらないぞという、攻撃であり防御。
この内面の頑なさが、身体の芯を硬くしてしまうんですね。
この硬さは、しっかりしているというのでなく、動けなくなっている状態でして、干からびた硬さであるために、脆い。ガッチガチで動けないか、ポキっと折れてしまうかの二択しかない感じですね。
この状態になってしまう原因が内面にある。
身体の使い方の問題ではないんです。
自分を抑圧してきた結果、硬くなり、硬くて動かないがために、身体の他の部位がどんどん代用されていく。代用部位は極端に強くなり、その強さが当たり前になるので、何をするにしても、その代用部位がまず働くようになり、そこを働かせないでは動けなくなる。
そして、芯の動かなくなってしまったところは、ますます干からび硬く脆くなる。。。
ひどい言いようですけど、これ、そういった内面にきちんと気がついていますと、こんなにひどい状態にはならないんです。
私自身、身体の使い方を見直し始めた頃は、芯が硬かったんです。それでも、この手の話を知った時、まずはそうかもしれないなと受け入れたんですよね。
だから変われたのだと思うんです。
つまり、この手の話を知っても、内面の問題ではなく、身体の使い方の問題としか考えないようですと、それこそ潜在意識に深く刻まれた抑圧があるということなんです。
『再創造する天性の動き』でも言及しましたけれど、天才は大抵かわいい。赤ちゃんみたいな無邪気なところがあったりしますけど、それは、やはり芯が柔らかいから。赤ちゃんと同じだからなんです。あるいは天才は動物的ですよね。同じことですね。
天才にならなくてもいいんですけど、身体の芯の動きをどの程度取り戻せるか?
このことに目を向けずに、身体の使い方をただコツを使いこなすような感じで学んでいきましても、それはただコツのコレクターでしかありません。ずっと自分の身体から離れたままです。
自分の身体から離れていますと、身体から新たなものを生み出すことが出来ません。
創造性の無い身体ということですね。
私たちは誰でも皆、創造性のある身体だったんです。みんな、赤ちゃんからスタートしてますでしょ?
その創造性を取り戻しましょうというのが、『再創造する天性の動き』なわけですけど、そもそも創造性を失わせたのは身体の使い方ではなく、内面です。
その内面をただ内面からのアプローチで解きほぐすのは難しいので、身体の使い方を見直すことを優先していまして、それでもやはり、内面の問題は残るんです。
素直な人は吸収が早いのは、この内面の問題がわずかだから。
自分は変わらないぞという、攻撃であり防御が少ないからですね。
まぁ、それでも私は、なんとか身体からのアプローチを追求したいものですから、レッスンの場では内面問題について触れることがあっても、サラッとです。
このサラッとで、ピンと来るか来ないか?ではあります。
最後に。
内面の問題が根深いほど、内面から目を逸らしがちです。
身体は内面と別物ではありません。
自分の内面を受け入れることと、自分の身体を取り戻すことは、同じこと。