真実はどこにあるのでしょうかねえ?
私たちは、見たいものしか見れず、聞きたいものしか聞こえない。
目に入っているものが見えるわけではなく、耳に届いているものが聞こえるわけではない。
また、見えているものが本当というわけでもなく、聞こえているものが本当というわけでもない。
すべて、その人の意識が取捨選択し、作り出しているわけですから、
間違いなく真実といいますのは、
「それを信じている私がいる。」
ということなんでは?
信じるものの中味なんて、それこそ、どうでもよく、仮に、同じものを信じているようでも、
その何を信じているか、
によって、全く違ってくるわけですから、同じものを信じているとは、いえないですよね。
同じ宗教の名の下の争いなんて、まさにこれ。
信じているもの・ことに価値を置すぎますと、そこに真実はないわけですから、決着がつくわけがありませんもの。
真実というのは、万人にとって不変なこと。
人によって、時代によって、変わることは真実ではありません。
たとえ、自然界の法則みたいなものでも、真実かどうかは怪しい。
そういう法則を見ている、自分がいるということは、真実でしょうけど。
真実を外に求めても、見つかるわけがないんです。
ですから、外に求めた真実を共有するなんて、幻想。まさにあり得ないわけでして、
宗教に限らず、社会、共同体、なんでも、複数の人間が集まるところに、必ず争いが生まれるのは、当然ですよね。
信じるものの中味が、どうのこうのよりも、何故それを信じるのか?
について、考えることが、大切な気がするんですけどねえ・・・
「何故それを信じるのか?」
自らに問い、お互いに問い、
自らを知り、相手を知る。
う~ん・・・こんな人間になりたい。。。