前回、内外の一致について、書きましたけれど、これを大変なこと、面倒なこととしてしまうか、面白いこととするかは、大きな分かれ道ですね。
パントマイムの場合、伝統芸能であり、伝統芸能でない、といったところがありますから、形をどこまで重視するかは、やる人次第、且つ、見る人次第。
しかも、その形も、いわゆるマイムテクニックにとどまるのか、それとも、ただ歩くといったところまでを、考えるのか?
それによっても、また、ずいぶんと変わってきますしね。
まあ、いずれにしましても、内外の一致なんて無くとも、やる側、見る側、十分に楽しめるわけですから、内外の一致を押し付ける理由は、全くもってないのです。
ただ、好むか、好まないか?ですね。
で、私はと言いますと、今はもちろん好みまして、面白いと思うわけですけど、マイムをまだ独学でやっていた頃は、こんな内外の一致なんてことには、気が付きもしませんでしたね。
ただ表面的なテクニックだけ、磨いていればいいと、思っていました。
不思議に見える動きばかり、練習していました。
ただ歩くといったことに、形を求めるなんてことは、思いもよらないことでしたし。
ですから、そのうち練習することが、なくなってしまうんですよ。
もちろん、特別、人に習う必要も無いと思っていました。
傲慢といえば傲慢ですよね。
けれど、私に限らず、このような状態でパントマイムをやっている人は、多いと思うんですよ。
(そうでない人は、ごめんなさいね。)
最初にも書きましたけれど、必要無いといえば、無いわけですから、当然なんです。
マイムにおいての、内外の一致は、まさに、やる人間が好むかどうか?面白いと思うかどうか?
極端な言葉で言い換えますと、自己満足するかどうか?です。
まあ、それ以前に、マイムの内外一致というものが、どういうことなのか?を知る機会が無いということはありますけれど・・・
ただ、内外の一致の面白さを知ってしまった私は、もう後戻りは出来ないわけで、
自己が満足しないものが、どうして他者が満足できるのか?
の想いの下、今日も自己満足を求めていくのであります。