前回、「ごっこ遊び」ってことを言いましたけれど、この世の中も、同じですよね。
遊びと言ってしまいますと、不謹慎な感じがしてしまいますけど、同じことに変わりはありません。
分で自分を、「ある私」に設定して、いろいろな出来事に反応している・・・
その私も本来、固定され得るものではありませんで、自分の意思とは別に、変化していますから、本当は、「ある私」なんてものは存在せず、
ただ、反応している「私」らしきものがいるだけ。
「ごっこ遊び」もおんなじ設定で、ず~っとやっていますと、当然のように飽きてしまいますように、この世の中での私(らしきもの)も、時に、良い人になってみたり、時に、明るい人になってみたり、時に、怒りの人になってみたり・・・忙しいことですね~。
ところで、明るい人になっていますと、見るもの、聞くもの、食べるもの、全てが気分の良いものになりますでしょ?
反対に、怒りの人になっている時は、全てに対して、ぶつかっていくわけですから、見るもの、聞くもの、食べるもの、な~んでも気分を悪くさせてしまいますね。
皆さん、経験的にも、このことは、よくお分かりいただけると思いますけど、パントマイムの「ごっこ遊び」で、(イメージからではなく)身体からこういった状態を作ってみますと、こういったことが、より強く、クローズアップされて、経験されることになるんです。
ただ、日常生活での経験と違いますところは、その経験を
非常に冷静に見ている。
ということなんです。
たとえどんなに激しい感情でありましても、いたって冷静。
(『エモーショナル・ボディーワーク』を経験された方は、お分かりになると思いますが、私の感情表現が、一気にマックスに達し、さっと普段の状態に戻りますのは、そういうことです。ぶれはありませんでしたでしょ?)
この世の中が「ごっこ遊び」であるならば、わざわざパントマイムで「ごっこ遊び」をしなくても、いいようなものですけど、この冷静さは、最大のポイント!
子供が「ごっこ遊び」の途中で、本気になってしまい、けんかになったり、泣いたりってことがありますように、
(大人はこれを見て、バカだなぁと思う・・・)
この世の中では、自分たちの行動が「ごっこ遊び」ではない思ってしまっていますから、つまり、本気ってことですから、
それは、もう、当然のように、揉め事が起こり、悲しみに暮れ、有頂天になり・・・心はいつでも、奥底から不安定に揺れるわけです。
(やはり、バカだなぁと・・・どこかで大人に当たる人に思われているはず。)
純粋に「ごっこ遊び」を楽しめないんですよね。
ですから、パントマイムで、あくまで心の奥底が安定した状態で、日常をはるかに越えた出来事、気分を味わうんです。
あぁ~~・・・これが日常に活かせますと、悟りに近づけるんでしょうけどねぇぇ・・・まだまだ、私にはマイムが必要そうです。。。