犯罪報道の不思議・・・
刑罰の目的には、更正が挙げられているはずですよね。
で、少年法では更正の妨げになるからということで、犯罪者の特定を禁止し、審判を非公開としているんですけど、成年犯罪者の場合ですと、すぐに顔も名前も出ますし、裁判も公になりますよね。
成年犯罪者では個人の特定や裁判の公開が、更正の妨げにならないということなんでしょうか???
少年犯罪者は更正後、一般市民に紛れ込ませるようにし、成年犯罪者には、たとえ更正後でも、気を付けろということを、暗に言っているのかしら?
また、名前を出すことが、個人の特定になるようですけど、名前によって、何が分かるのでしょうか?
名前なんて、記号に過ぎないはずですけど・・・
「あなたは何ですか?」
「私はJIDAIです。」
って、何の答にもなっていません。
「私の名前はJIDAIです。」
は、間違いではないですけど、ただそれだけのことですもの。
それとも、犯罪者の名前を報道することで、同姓同名の人には、気を付けろということ?
まさか。。。
ところで、なぜ、被害者は名前も顔も報道されるんでしょう?
どんな名前のどんな顔の人が、被害にあったかを、一般市民に知らせることが、犯罪の再発防止に役立つわけでもないでしょうにねえ。
報道は、どんな使命感に基づいているんでしょう?
知る権利だとか、知らせる義務だとかって言葉を出されますと、私はどうも、いやぁな気分になってしまうんですよね。
所詮、野次馬根性の正当化・・・おっ。言い過ぎ。。。
それと、正義感。
これも、いやぁな気分にさせられます。
何に基づいた正義?
法律?道徳?
犯罪者を責めることが正義?
犯罪行為を責めるのでしたら、話はわかりますけど・・・
私は、素直さに欠けているんでしょうか?
(はい!欠けていますね。)
あぁ~・・・世の中についていけないぃぃ。。。