オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

一生ものの、ごっこ遊び

パントマイムって平たく言えば、ごっこ遊びなんですよね。

誰でも、特に子どもであれば、気軽に、いえ、なんとなしにですら、
やってしまっているようなものなんです。

誰かの真似をしたり、
暑ぃ~って言いながらダラ~ッと溶けてくようなかっこうをしたり、
ちょっと気取ってみたり、
などなど覚えがありますでしょ?

それに、生まれたばかりの赤ちゃんは、
お母さんや周りの人の真似をして、
人間らしい動きを身につけていっているんですものね。

大人になっても、
誰か憧れる人の、あるいは役職、立場などに合った立ち居振る舞いを(真似)して、
その人みたいになろうということもありますでしょ?

これだって、立派なごっこ遊びだと思うんですよ。
(遊びっていうと、違う!って言われそうですけど・・・)


それをどんどん突き詰めていって、
人に見せることを意識したものが、パントマイムの技術なんですね。
(作品は、またちょっと違うんですよね。技術は目的でなく手段ですから。)

ですから、マイムは特別なことではないんです。
誰にとっても、最も身近なものなんです。


ただ、私たちはそれを
よりドラマチックに、よりシンプルに、より精度を高めて
やっていこうとしているだけなんですね。

身体ごと、心もまるごと、そのものになって、人に感じてもらえるように。


火になり、水になり、怒りになり、優しさになり、闇になり、光になり・・・
そう、ありとあらゆるものになるんです。


そして、
ありとあらゆるものになるということは、
自分というものを何者でもない存在にしようということでもあるんですね。


個を消す。
消すことで、全てになる。


私たちのマイム、オーガニックマイムは自分を見せるためのものではないんですね。

けれど、
どんなに消そうとしても残ってしまうものが、
個性として捉えられるのかな?
と思うんです。

個性というのは自分で表に出そうというものではなく、
他人が否応無しに感じ取てしまうようなものなんでしょうね。


個性を積極的にアピールしなければいけないような、今の時代にあっては、
そういった意味で、今どきではないかもしれませんね。

でも、子どものごっこ遊びって、
別に個性をアピールするためにやっているわけではありませんでしょ?
ただただ、純粋に自分以外のものになろうとしているんだと思うんです。

私たちは子どもに還ろうとしているだけなのかもしれません。


パントマイムは決して、コミカルなものというわけではありません。
トリッキーな動きをするだけのものではないんです。

気軽に始められて(すでに誰もが始めているはずなんですけどね)、
どこまでも奥深く行けるものなんです。

一生を掛けることのできる、本当に楽しいものなんです。

仲間が増えたらなと思います。
どうですか?




マイムから心と身体の平和を  http://www.geocities.jp/mime_jidai/


JIDAIメソッド http://jidai.mond.jp/

オーガニックマイムPV   http://youtu.be/wYKjp-JVwGY