感情表現のところで出ました、シリアスですけど、シリアスといいますのは、深さのこと。
まじめとか、重いとか、暗いとか、激しいとか、そういったこととイコールではないんです。
ですから、真剣に演技をするというのとも、ちょっと違うんですね。
真剣といいますのは、下手をしますと、単に思い込みばかりが強くなってしまいかねません。
思い込むのとシリアスとは、やはり違うんです。
「込む」「込める」・・・無理をしている感じがしますでしょ?
押し込む・・詰め込む・・考え込む・・
思い込むのではなく、「思ってしまっ」ていればいいんです・・・
パントマイムをやっている人は演劇的なマイムをしている人でも、
この「思ってしまう」ということが、なかなか難しいんですね。
普通の演劇をしている人の方が、得意な人が多いようです。
ポーリッシュマイムの観点からしますと、演劇の人の「思ってしまっている」が、身体の形に出てきますと、ようやくマイムだなと思うわけなんです。
「思ってしま」わないのに、身体の形をつくろうとしますと、
それがすなわちフェイク(嘘、ふり)の演技となりまして、シリアスではなくなってしまうのです。
自分の舞台を友だち感覚で観てほしい人にとっては、シリアスではない方がいいと思うんですけど、
別空間・別時間を感じもらいたい人は、シリアスであった方がいいと思うんです。
マイムでは様々な感情を表現しますけれど、その全てがシリアス、つまり本当に「思ってしまっ」ていて、
なおかつ身体の形に現れている状態が必要となりますと、
どうしたって、表現できる感情の種類が限られてきてしまいます。
ある種の雰囲気しか出せない、あるいは出せない雰囲気があるとしますと、
それは個性というよりも、演技力不足を疑った方がいいわけです。
もちろん、得意なものがあり、他の追随を許さないようなものであれば、それは素晴らしいことですし、
オールラウンドにこなせる必要があるわけでもありませんよ。
現実的には、人前で演じる際は、得意な雰囲気で出た方がいいですよ。無理はよくありませんもの。
観ている人も、その方が楽しめますしね。
で、シリアスとは「思ってしまう」ことなんですけど、
ポーリッシュマイムとしましては、プラス身体の形にまで現われることが望まれまして、
ですから、ポーリッシュマイムが上達しますと、演技だけでなく、
「カベ」でも「ロープ」でもシリアスになり得るんです。
「カベ」や「ロープ」がシリアスなんて、ますます分からなくなってしまいそうですね・・・
(真剣とか上手とか、そういったことではありませんよ、念のため。)
このシリアス・・・頭で理解することと、ほんとに分かることとでは、大きな違いがありますが、
シリアスを知る(体感する)ことは、本人にとりましては
飛べないはずの人間が、飛べた!!
というくらいに、劇的な面白さだと思うんですよね。
まぁ、どれくらい深く思えるかにもよりますけれど・・・
パントマイムをするしないに関係なく、味わってもらえたらなぁ。。。