オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

精神と物体をつなぐ~表現できる身体にするために

~表現のための身体をつくる~

 
 
 
どちらも身体を使うことに変わりはありませんから、
 
身体を動かすトレーニングは基本的に欠かせないと思うんですね。

 

 

 

(身体を使うという意味では、普通のお芝居でも、オペラでも
 
演劇的表現として身体を人前にさらすわけですから、同じ仲間ですね。)

 

 

 

あなたは、そのトレーニングをどう位置づけていますか?


どのような身体になろうとトレーニングしていますか?

 

 

 

柔らかい身体、強い身体、よく動ける身体・・・そういった身体にして、
 
振り付けは振り付けで、あるいは演技は演技で稽古していく感じでしょうか?

 

 

あなたは、何を使って身体を作っていますか?
 

 

 

自分での筋トレやストレッチ?
 
あるいは、それでは不足を感じて、ヨガやピラティス
 
あるいは武術的なことをされるかもしれませんね。
 
演劇系の方は、日本舞踊やバレエ、ダンスを習われる方も多いかもしれません。

 

 

 

ところで、あなたは、
 
 
「身体で表現する」ということを、どのように考えていますか?

 

 

 

 

私は、まだ人生をマイムに捧げようとは思わずにマイムをしていた時は、
 
「身体を動かして何かを表現する」ことだと思っていました。
 
(その頃、そう意識していたわけではないですけれど、今考えると、そういうこと。)

 

 

 

 

けれど、人生をマイムに捧げようと思った時、
 

「動かないでも表現出来る身体になって、


その身体を動かして表現しよう」


と決意したんですね。

 

 

 

 

ですから、私にとって、
 
 
動かないでも表現出来る身体が「表現出来る身体」
 
 
なんです。

 

 

 

(誤解しないでいただきたいのですが、
 
道での「動かない」パフォーマンスのことではありませんよ。
 
一見何でもない、誰でも出来そうな動きが、
 
とんでもない表現力を持ってしまうようになるということですよ。)

 

 

 

~表現できる身体とは?~
 
 
 
 
さて、ここからのお話は、ピンと来ない人は多いと思います。
 
何しろ、昔の私が、まさにそのピンと来ない人でしたから。。。あららぁ、、、
 
 
 
(でも、恥ずかしいとは思っていませんよ。
 
それがあったからこそ、そういう人の気持ちに寄り添いつつ、
 
お話出来ると思っていますので。)

 

 

 

 

世の中には、昔の私と今の私の間に位置する人もたくさんいると思うんですね。
 
そういった方々に今回のお話が届いたら、いいなと思っています。

 

 

 

 

ということで、結論的なことを先に言いますと、
 
 
 
身体が柔らかろうと、強かろうと、難しい動き、速い動きが出来ようと、

それは表現出来る身体とは考えないんです。

 

 

 

 
どうしてか?

 

 

ひと言でいいますと、

 

それらは、
 
 
身体に精神が宿っているかどうか?
 
 
とは別のことだから。

 

 

 

 

柔らかいとかどうとかといったことは、
 
身体をある種の構造物、物体として見た時の能力
 
ですよね?

 

 

つまり、身体というものを精神という場から見ますと、単なる物体。
 
言い換えますと、人形なんだと思うんですね。

 

 

 

 
~人形と物体としての身体~
 

 

 

先日、人形浄瑠璃文楽)を観に行ってきました。
 
人形を上手に動かせなくてはどうにもなりませんけれど、
 
上手なだけではダメなんですね。
 
その役の気持ちが現れてくる必要がある。

 

 

 

当たり前と言えば当たり前ですけど、
 
実際の人形をそのように動かせるようになるには、
 
何年、何十年もの修行が必要なわけです。

 

 

 

 

ひるがえって、身体表現。
 
 
 
多くの身体訓練は、身体を物体として、
 
 
高度に扱えるようにしていくためのもの
 
 
 
なんですね。
 
筋トレ、ストレッチ、呼吸、ヨガ、ピラティス・・・

 

 

 

 

もちろん、それはそれで大事なことですけれど、
 
そのままでは、生身の人間の体とはいえ、結局、物体でしかない。

 

 

 

けれど、
 
 
単なる物体ではなく
 
 
そこに精神が現れた、生きた人形のようになって、
 
 
初めて身体運動表現から、身体表現になる
 
 
 
のだと思うんです。

 

 
 
 
 
 
人形遣いの内面と人形~
 

 

 

私たちは人形ではなく本当に生きていますから、
 
ほっておいても身体に精神は現れているように思えますけど、
 
 
 
一旦、身体を物体として扱い、精神と分離させ、
 
 
さらにその精神は精神で扱い、
 
 
その上でもう一度元に戻す。

 
 
 
 
 
 
そうすることで、生身の人間が文楽の人形のように、
 
 
 
精神と身体が融合しつつ、
 
 
それぞれが見事に浮き立つ
 
 
 
のだと思うんです。
 

 

 

ただの生身の人間ではなくなる。

 

 

文楽の人形の何に感動するか?と言えば、
 
それは単にきれいに動くとか、そういったことではないですよね?
 
内面の状態が動きとして表現されているからですよね?

 

 

 

元は、ただの人形ですよ。物体でしかないんですよ。
 
 
内面は人形遣いの人の中にあるんですよ。

 

 

 

だからといって・・・人形遣いは気持ちを込めるからといって、
 
 
自分の身体や顔で演技はしません。
 
 
あくまで人形を動かすだけです。

 

 

 

 

 

だからこそ・・・
 
 
全く所在の違う精神と物体が、ひとつになっているからこそ、
 
 
 
私たちは文楽が好きとかどうとかではなく、あの人形に惹かれてしまうわけです。
 
地続きの異界のものとして。
 
少しばかりの恐怖とともに。

 

 

 

私はそういうものを観たいですし、そういうものを面白いと思うんですね。

 

 

 

~表現できる身体にするためのトレーニング~
 
 
 
 
 
 
となりますと、トレーニングをどう位置づけるか?
 
どのような身体になろうとトレーニングするか?も、
 
 
 
 
単なる物体としての能力を上げるということではなくなってくるんですね。

 

 

 

もちろん、それをしないということではありません。
 
むしろ相当厳密に精度の高いものにしていきます。
 
けれどそれは、動きの精度を上げるという意味だけでなく、
 
精神を宿しやすくするということでもあります。

 

 

もし、
 
 
 
文楽の人形の作りの精度が低かったら、
 
 
人形遣いの精神が人形に100%伝わらない
 
 
 
と思いませんか?
 
 
 
 
 
 
同じことなんですね。

 

 

 

 

 

話を戻しましょう。身体トレーニングの際、私が大事にしていることは、
 
表現にとって意味のある柔らかさか?強さか?動きか?です。

 

 

ヨガでもピラティスでも、
 
あるいは自分の専門分野に活かそうと習うバレエやダンス、武術など、
 
こういったものをやっていく際、下手をすると、
 
自分の表現のためではなく、
 
単に身体トレーニングのためのトレーニングになってしまう。

 

 

 

 

つまり、
 
 
 
「身体は鍛えられました。
 

けれど身体表現力はさほど変わりませんでした。」

 
 
になりかねない。
 

 

 

 

 

さらに下手をすると、元の自分の表現をやめて、
 
そっち方面に行ってしまう場合もあると思うんです。
 
 
 
 
 
もちろん、それが幸せな出会いだったということもあるでしょうけれど、
 
多くは、本来自分が何のために、どんな身体になろうと思って、
 
そういったことを取り入れようとしているのかが曖昧で、
 
 
 
 
柔らかくなれば、歪みが取れれば、きれいな動きが出来れば・・・
 
といった、

物体としての身体にしか目が向いていなかったから
 
 
 
 
だと思うんです。

 

 

 

 

 
身体を物体としてしか見ていなければ、
 
自分の表現分野ではないものの方が、目新しいことは間違いありませんから、
 
そちらに魅力を感じてしまうのは無理からぬことですよね?

 

 

 

表現の分野にいるのでしたら、身体を物体としてしか扱わないということは、
 
もったいないと思うんです。
 
柔らかい身体、強い身体、よく動ける身体・・・そういった身体にして、
 
 
 
振り付けは振り付けで、あるいは演技は演技で稽古して、
 
身体に精神を宿らせようとしましても、
 
とても大変
 
 
 
だと思うんです。

 

 

 

 
文楽の人形の構造は、
 
人形遣いの精神が宿りやすいように作られているはずなんです。

 
 
 
 
 
人形遣いの存在無しでの、
 
 
人形の性能の良さって何でしょう?


 
 
 
 
 
精神を宿らせることを考えないところでの、
 

身体の性能の良さって何でしょう?

 
 
 
 
 
ということなんですね。

 

 

 

 

 
一方、
 
 
 
 
精神ばかりに目を向けてしまいますと、
 
 
それは人形を持たない人形遣いになってしまいます。
 
 
 
 
人形遣いは舞台で演じません。動きません。
 
(以前お話した、内面重視での演技の落とし穴ですね。)

 

 
 
 
 
 
 
 
~精神と物体をつなぐ~
 

 

 

人形遣いの精神」と「物体である人形」とを繋げるものは何か?

 

 

それは、明確なたったひとつの答えというわけではありませんけれど、
 
私たちの身体において、ひとつ大事なことは、空間、スペース、すき間・・・
 
 
 
 
 
身体の中に空間を作る。

すると、外の空間と繋がる。交流する。

 

 

前回お話しました、感情は宇宙に偏在するということと繋がってくるんですね。
 
 
 
 
 
宇宙に偏在する感情が、
 
身体の中の空間を通じて、自分の感情として立ち上がってくる。

 

 

 

・・・ここのところは、単なるイメージではなく、
 
かなり物理的に感じられるお話でして、
 
 
 
それを掴むことは私たちのアートマイム、オーガニックマイムの表現者としては
 
非常に大事なところなんです。

 

 

 

そして、
 
 
 
 
もしあなたが身体表現とは違う分野、
 
 
たとえ主婦であっても、
 
 
 
 
このことはとても興味深いことだと思うんですよ。
 
 
 
 
心と身体はひとつと言いますけれど、
 
いったん分けた上でまたひとつに戻す時、

 
 
 
 
それは元の混沌とした状態のひとつというのではなく、

鮮やかなひとつになるのではないかと思うんです。

 

 

 

もちろん、私自身まだまだ未熟ではありますけれど、
 
表現者にだけ必要なことではないと思うからこそ、
 
「マイムから心と身体の平和を」
 
を掲げています。

 

 

 

マイムの原初は「ごっこ遊び」です。
 
だれもが本能的に持っている遊び心の現れであり、
 
同時に、他を模倣して成長していくという、人間として欠かせない能力。
 
 
 
 
そんなマイムは、誰もが気軽に始めることができ
 
(子どもの時はみんなやっていたんですよ!)、
 
それでいて、どこまでも深い。

 

 

 

ぜひ、1人でも多くの方が心と身体に平和を作ってもらえたらと思います。
 
そこに、アートマイム、オーガニックマイムがお役に立てれば、嬉しいです。

 

 

 

最後にあらためて。
 
身体表現者にとっての身体トレーニングをどう位置づけるか?
 
大事にしてもらえればと思います。
 
ワークショップ予定しています。
 
 
 
 
 
~あなたの疑問に応える、呼吸、動作、心。~

『アートマイム流 心と身体のワークショップ』
 
 
 
 
 
Body,Mind&Spirit 本当の自分の身体は天才だ!
 
 
 
 
マイムから心と身体の平和を


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