オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

風景が見える演技。動きが見える演技。

動きが見えるのか?


風景が見えるのか?


手前味噌な話のようで恐縮だが、大事な話なので聞いてほしいと思います。



彼女は体感しました。初めて。


他で随分長いことマイムをやっていて、私のところにも来るようになって、5年目。

並行してやっているので大変だと思うんですけど、

私のところのマイムを10年はやってみようと決意して始めたようで、

いつもレッスンに戸惑いを感じながらも、毎週続けてきたんです。


そうやって、5年。。。



そんな彼女が、ようやく体感出来たんです。

身体が心を創り出していることを。



今までは、気持ちを作って体を動かして、目の前に風景を作ろうとしていたんですね。

作った景色を一生懸命に見ようとしていたんです。



けれど、そんなことしなくても、見えてしまった。

気持ちも、かつて味わったことの無いような気持ちを味わってしまった。

しかも、何度でも、新鮮な気持ちとして味わえてしまう。

こんなに簡単に出来てしまっていいのか?というくらいに。



この体験をする前の彼女は、私がいつも言っている

「身体から内面をつくる」


ということが、どうにもよく分からなかったんですね。



心のどこかで、

内面重視でないように聞こえる私の言葉に、

自分のやってきたもの(内面重視)と反対のことなのではないか?と、

ひっかかりを感じていたらしいんです。



普通でしたら、そこで私に習うのをやめてしまいますよね?

にもかかわらず、彼女はもう5年も続けている・・・

なぜか???




彼女曰く、私の演技にはいつも風景が見えると。


舞台で作品を演じている時だけでなく、

先日のレッスンでも、シンプルな振る舞いでしたけれど、

私が行なうと、中世イタリア、群衆を前に高い建物のバルコニーから出てきた司祭の姿が

見えたらしいんです。



その日は体験で来ていたお芝居をされている方がいまして、

その方はリアリティー重視のロシアの本格的な演技を勉強してきているとのことで、

しっかり何かになりきった感じで演じていたんです。

さすがです。



けれど、彼女曰く、その方の演技には、なりきっている感じは分かるけれど、

風景は見えてこなかった。



風景が見えてくる演技とそうではない演技・・・

この圧倒的な違いは何だろう?

週間ずっと考えていたらしいんです。




それが、この日、自分が体感して、分かった!

先週までの体感したことの無い自分では決して分からなかったものが、分かった!



この状態、つまり風景が見えてくる演技というのは、その場に自分がいるということである。

それが分かったんですね。



決して、その場にいようとすることなく、いてしまう。

景色も見ようとすること無く、見えてしまう。見るつもりなんかなくても見えてしまう。

そしてそれは確かに身体からきているけれど、形ではない。なのに、形も決まる。


さらに、呼吸が大事なのは分かっていたけれど、こういう意味で大事だというのは、

体感しなければ分かり得なかった。

丹田も同じ。大事なのは分かっていたけれど、こういう意味で大事だというのは、

体感しなければ分かり得なかった。



そんなことが、彼女の中でばーっ!と巡ったようです。

5年間ずっと疑問に思っていたことが…5年間悩み続けてきたからこそ、

これだけのことがばーっと!彼女の中でひとつに結びついたんでしょうね。



と同時に、こんな簡単に出来てしまっていいの?という、不安も感じたようです。


・・・分かります(笑)

以前にも、これを体感した別の人から言われました。

「なんかズルしてるみたい。」って(笑)



このあたりのお話は長くなりそうですから、また別の機会にゆずるとしまして、

大事なことは、

自分が一生懸命に風景を作ろうする演技のほうを良しとするのか?

それとも

景色が見えてしまう、風景の中に自分がいてしまう演技を良しとするのか?

です。



これは、観客の側から言いますと、

前者は演者を見せる演技で、

後者は演者が創り出す世界に巻き込む演技です。



あなたでしたら、どちらをやりたいですか?






Body,Mind&Spirit 本当の自分の身体は天才だ!




マイムから心と身体の平和を


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