オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

ジェスチャー演技にしなければ、内面重視といえるのか?

ジェスチャー演技にはしたくない

というクラス生、彼は芝居畑の人ですけれど、
どうも勘違いして稽古していたことが判明しました。



数カ月前から「自己整体真呼吸クラス」「アクトクラス」に通い始め、
エモーショナル・ボディワークも経験していまして、
私のブログ記事もいつも熱心に読んでいるんですけど、
それでも大きな勘違いをしていたんです。




ということで、これは伝える私の責任でもありますから、
あらためて「ジェスチャー演技にならないようにする」ということが、
どういうことかをお話しますね。





まず、一番初めに大事なことがあります。



内面を重視することと、形を使うことは矛盾しないということ。



これは、本当に重視なことなんです。





ただ、その前に気づいて欲しいことがあるんです。

それは・・・



「内面が大事だから、ジェスチャー的な形をとらない。」というのは、
すでに形というものを物凄く気にしているということですよね?


意識のどこかで、常に形と戦っていることになります。


それは、自分の気持ち(内面)に嘘をついているということでもあります。






さて、内面を重視することと、形を使うことは矛盾しないということですけれど、
そもそも、

形には形が成り立つ理由がありますから

そこを理解できれば、
形と戦うことのおかしさが分かると思います。





例えば、気落ちしたとき、うなだれるようになるのは、不自然でしょうか?
逆に、うなだれて歩いている人を見て、元気そうだと思うでしょうか?



気落ちしたとき、うなだれるのは、老若男女、国籍、民族、関係ないと思います。
犬だって、気落ちしたときは力無く「くぅぃ〜んん。。」とうなだれるじゃないかと思うんですよ。



まぁ、犬はいいとしましても、うなだれるのは、その形をとりたくてとっているのではなく、
エネルギーの流れがそうさせているんです。



息が力無く漏れ出て、重力に逆らって頭を上げておくのがつらくなる、体が重くなる。



もし、喜ばしいことがあったときには、
息をバッと吸い込み、目を見開き、顔を上げ、ときには飛び跳ねてしまう。


犬だって、そうですよね(笑)




実際の生活の場面では、誰に見せるでもなく、このようなアクションが起こり得るわけです。
気落ちした時と、喜ばしい時の動作が逆になることは、決してありませんでしょ?



もちろん、自分を極端に抑えていれば、目に見える動きはないかもしれませんけど、
エネルギーの流れは必ずあります。




そして、誰もがこのエネルギーの流れを身体で知っていますから、
他人のその姿を見て、内面を読み取れるわけです。




小さな子どもでも、お母さんがうなだれていれば、
「どうしたの?」「大丈夫?」「元気出して」
って、言いますでしょ?




ところが、内面重視での演技ということになりますと、この手の形を避けようとする。
気落ちした演技でも、うなだれない。喜びも顔に出さない。(かな?)



それは、自然界の人智を超えたエネルギーの流れに逆らうということ。



エネルギーに逆らいながら、観客に自分の内面を伝えようとしている。
伝わるでしょうか??





では、なぜ形を避けるのか?


それは、

内面が本当ではない、エネルギーを伴った内面ではないことを、

意識のどこかで分かっているから。


命ある形にできないと、分かっているから。





例えば、愛しい人の頬に右手で触れるとして、それは右手だけの問題ではないですよね?
愛しいという気持ちは、全身に巡っているはずですよね?
ということは、左手だって愛しさを宿しているはずなんです。



愛しい人に触れる右手の指先は、きっと一番強く気持ちが宿っているであろうことは、
想像に難くないですよね?
けれど、手首だって、かなり宿っているはず。肘、肩はどうでしょう?
それなりに宿っているはずです。



そもそも、体に切れ目はありません。
右手指先から一番遠い、足先もひとつづきの体ですから、同じ気持ちが宿っているんです。
ただ、濃度が違うだけ。



ですから、単に右手で触れるという行為も、実は全身での行為のはずなんです。



ところが、内面重視といって形をつくることを避けていますと、右手だけの行為になってしまう。




残りの体はすべて、単なる物体になってしまう。

ただ突っ立って、腕をぶら下げて・・・




結局、その内面重視は頭の中での思い込みなんです。





そういう内面重視であるなら、布団の中で寝たままで、
姿を見せずにどんな気持ちも表現して伝えられるということになります。





もちろん、一見、右手だけの行為に見えるものでも、構わないんです。
けれど、それは右手以外の体を敢えて(ほとんど)動かさないという、
選択の結果であるべきなんです。



言い換えますと、動ける状態にあるということ。
全身で形を作れるけれど、敢えて小さな動き・形にしているのかどうか?ということなんです。




ここで、

よく問題に上がるのが、「実生活でそんな動き・形はしない」

というもの。




ここに、

内面重視の落とし穴

があります。





実生活では、確かにしない動きでありましても、本来のエネルギーを重視すべきです。




それは、

そもそも動き・形を表面的にしか見ていないからであって、

それがあたかも真実であるかのように扱うというのは、どうか?
ということなんです。



スポーツなどにたとえれば、簡単です。
形を真似しましても、結果は出ませんよね?
エネルギーを無視しているからです。





観客は必ず身体で分かります。

あなたの演技が、思い込みなのか、気持ちが全身に宿っているのかを。





形の中に真実を見つけるようにしてはどうでしょうか?



単なるジェスチャーになってしまうのは、自分の体を怖がっているからです。
あるいは、エネルギーの濃淡をつけられる体でないからです。




あなたは、あなたの体を持って、初めてあなたです。
体を持たないあなたは、あなたではありません。
(霊的な話は置いておいて下さいね。
内面だけであなたであるなら、体を見せる舞台に立つ必要はありません。)





でお話しました「両腕を広げて青空を見上げて悦びの表情を浮かべる」ということを、
形を恐れずにトライしてみて下さい。




あの記事では舞踏との違いのために、この演技を取り上げましたけど、
踊りではなく、演技である以上、
これがジェスチャーになってしまわないようにして欲しいと思います。



その上で、形を変えることは、いくらでも可能です。
腕をことさら上げなくても、エネルギーが全身に保たれていれば、いい。



もちろん、容易ではありませんよ。


内面の自由度に比べ、体はあまりに不自由です。


ジェスチャーになってしまうのは、体を不自由なままにしておくからです。




体(顔や眼の色も含めて)こそ自分であると、内面を表現する。



それが、稽古であり、本当に内面を重視することになるんです。








4月5日 『表現者のための呼吸 心と身体のワークショップ

              https://www.facebook.com/events/652119111600661



  4月16日 『声(音)を体に響かせる〜身体感覚を磨く 第4回』

            https://www.facebook.com/events/1411875602448249/





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