ある舞踏では、
「自分の気配を消す」
それが大事だと教わるそうです。
アートマイム、オーガニックマイムは舞踏と近しいものがありまして、
この自分とか個というものの扱いは、結果的には似ているように思います。
けれど、私は当初、全く違う言葉で教わり、それを大事にしてきました。
それは、
「自分であれ」
不思議ではありませんか?
一見、全く真逆のことを言っているように見えますよね?
少なくとも、私はこれまでずっと「自分を消す」ということは考えたことがありません。
それでも、舞台上では消えています。
と、自分で言うのは、我ながら可笑しい。。
で、まぁ、これも自分で紹介するのはアレなんですけど、
とても分かりやすいので、先月の舞台を観て下さった方の言葉を。
『本当に何もない舞台上に、あらゆる質感、触感、温度、距離、匂い、音、明かり、味、色彩…
とにかくものすごく鮮明に在って、震えた。
何もかが生々しく迫ってくるのに、唯一、生身のJIDAIさんの存在だけが微塵もなく…震えた…』
これ、正直なところ、最初ちょっと意味が分からなかったんです。
「生身のJIDAIさんの存在だけが微塵もなく」って、
どういうこと?良くないって言ってるのかな?と。
そうではありませんね。
自分が消えているということですね。
と、そんな感じで、「自分であれ」でずっと稽古してきて、
自分を消すなんて考えたこともなかったのに、消えた。
どういうことか???
「自分であれ」というのは、「演じるな」「フリをするな」ということなんですね。
私たちはつい演じてしまいます。
舞台上で、優しさを表現しようとして、つい優しい人を演じてしまいます。
怒りを表現しようとして、つい怒っている人を演じてしまいます。
それは違うんですね。
まっさらな自分から出てくる優しさ、怒りでなくてはいけないんです。
自分の感情に真摯に向き合う必要があるんです。
・・・というお話をしますと、こういう言葉に酔ってしまって、
「そう、そう!」「ほんと、まっさらな自分って大事よね!」に陥りやすいと思うんですけど、
これって言うほど簡単ではないんですよね。
で、かなり話をはしょりまして、きのう気がつきました結論から。
いやぁ、この気づきはとても大きい!!
きのうは、ちょっとひとりで興奮しておりました(笑)
自画自賛してしまいますよ(笑)
身体から、動きからエゴを消す。
身体だけの存在になる。
そうなることで、普遍的な純粋な、心だけの存在として、
(舞台上に)立ち現れる。
心からエゴ(自分)を消すのではない。
身体から、行為からエゴ(自分)を消す。
きっと、お坊さん、仏教の僧侶が毎日毎日、淡々としかし丁寧に仕事をこなすのは、
そういうことなんだろうと、勝手に想像しました。
きょうは、短めに(笑)
6月7日 『重心移動ワーク』
6月7日 『原始歩き同好会』
6月14日 『声(音)を体に響かせる〜身体感覚を磨く 第6回』
(キャンセル待ちでの受付となります)
6月30日 『エモーショナル・ボディワーク〜伝わる感情〜』
7月2日 『声(音)を体に響かせる〜身体感覚を磨く 第7回』
7月19日 『声(音)を体に響かせる〜身体感覚を磨く 第8回』
7月29日 『「丹田・軸・脱力」開発ワーク』
7月開講 『アートマイム塾〜シアターカイ本物の俳優修業シリーズ〜』
Body,Mind&Spirit 本当の自分の身体は天才だ!