今回はエネルギーの方向性の「内と外」について、考えてみたいと思います。
エネルギーが内に向かう。外に向かう。
イメージは沸きますでしょ?
(舞台)表現をされている方でしたら、ご自分はどういう感じでしょうか?
非常に大雑把な言い方になりますけれど、一般的に表現といいますのは、
エネルギーを外に向けることが重要ですよね。
けれど、中には内に向かっているものを、観客が外から眺めるという感じのものもあります。
比較的、踊りに多いように思います。
ところで、前回に引き続き、声のワークのお話ですが、そのタイトルは「声(音)」なんですね。
実際に出るのは声というよりも、音なんです。
「自分の声ではないみたい」
という感想はよく聞かれます。
前回、歌ではありませんが、声を専門的に扱う方が参加され、
その方は普段、このように心がけ、あるいは指導されているとのことでした。
「声を前に出す」
これは、一応、外に向けることですね。
観客に向けて届ける。
で、その方がわざと引き込むような声を出して下さったのですが、確かに「引き込む」でした。
これは、
「声が内に向いている」
といってもいいのではないかと思います。
内に向いていましても、聞こえはします。
こちらに届けようという気持が見えてこない感じです。
さて、声(音)のワークで行ないますのは、
その前(外)、引き込む(内)のいずれでもないんですね。
この声の専門家の方がワークの結果、
そのいずれでもない向き(方向性)で声(音)が出るようになったとき、
こんな方法があるのかと大きな戸惑いを覚え、
これから頭を整理しないといけないとおっしゃっていました。
それは、どういう向きの声(音)か?
観客に届けるために、
「内」(引き込む)ではよくないから、「前」という「外」
・・・当たり前ですよね?
これ以外に、どういう向きがあるのか?
これが、今回のお話の核心になるのですが、
表現の際のエネルギーが内か外かという、二者択一のように考えるのではなく、
また、もちろん、内のような外のようなといった、どちらにも向かおうとして、
どっちつかずの中途半端なものでもなく、
第三の道があるんです。
結論からいいますと、
「内と外がつながる」
「内と外の一体化」
です。
これは、
内に向かっているようで、外に向かっている。
外に向かっているけれど、内にも向かっている。
というものです。
一見、どちらにも向かおうとする、
どっちつかずの中途半端なものにように思われるかもしれませんけど、
全く異なるものなんです。
こればかりは、体感するほかありません。
こればかりは、体感するほかありませんが、声を前に出すときと、
第三の道であるワークの方法で響かせるときとの違い・・・
これは、非常にはっきりしています。
先ほどの声の専門家の方も、ご自分で両方を試して、明確な違いを認識されていました。
「前に出す」・・・ぶつかる。攻撃的。硬い。
「響かせる」(第三の道)・・・やわかい。包み込まれる。
前に出すほうは、機械のスピーカーと同じですね。
音のエネルギーの流れがひとつの方向に向いているために、直接的で、
上記のような印象を与えるんです。
そして、一方向でありますから、そこからずれたところには、届きづらい。
スピーカーの後ろでは、聞きづらいのと同じですね。
一方、第三の道である響かせるほうは、音のエネルギーが全方向に向かいます。
それはアナログな楽器と同じですね。
バイオリンの音色は演奏者の前でも後ろでも、おおむねどこでも同じように届きます。
自然界の音も同じですよね。鳥の声も、せせらぎの音も。
ここで表現のお話に戻りますと、
エネルギーを外に向けるという場合、その多くは「前」になります。
観客に向ける。あるいは共演者のような、相手に向ける。
いずれにしましても、対象に対して一方向です。
そのエネルギーが弱い場合、当然、対象者に十分届かないために、強く出す必要があるわけですが、
エネルギーの質としましては、声と同じように、
「ぶつかる・攻撃的・硬い」の度合いが増すことになります。
よくいえば、「強い」エネルギーです。
もし、エネルギーを内に向けつつ、強くしますと、
「大丈夫?」「がんばってるなぁ。」という印象になりやすいかと思います。
(意識としては外に向けてるつもりでも、実際には内に向くということは多々あります。)
この内にエネルギーを向けた表現ですけれど、私はマイム指導の際、
徹底してそれを戒めています。
私たちのマイムは内を非常に重視するのですが、
気をつけませんと、内ばかりに向いてしまいます。
閉じてしまう。
かといって、外に向ければいいわけでもないんですね。
外へ行ってしまいますと、内がどうしても疎かになります。
もちろん、内と外のどちらにも向かおうとしますと、
どっちつかずの中途半端なものになってしまいます。
そこで、重要なのが、第三の道である声(音)を響かせるのと同じ、
エネルギーを全方向に向けることなんです。
それは、
内に向かっているようで、外に向かっている。
外に向かっているけれど、内にも向かっている。
という流れのエネルギーであり、
「内と外がつながる」
「内と外の一体化」
ということになります。
この場合、
小さな音でも、届くんですね。
自然界の音である鳥の声、虫の音など、小さくても意外にはっきりわかりますでしょ?
一方向の音が耳に届くのに対して、
全方向の音は身体に届くからではないかと思います。
「表現は外に向かう必要がある」という立場に立っていましても、
それは、内と外という、相反する方向のどちらかをとるというのではなく、
実際に声を出すかどうかとは無関係に、
この声(音)を響かせるような第三の道があるということを、
少しでも多くの方に知っていただければと思います。
そして、それは声(音)を響かせられるようになりますと、
イメージの問題ではなく、実際の肉感的な問題なのだと、分かるようになるということも、
知っていただければと思います。
一方向のエネルギーを届ける表現に対しまして、
「観客を巻き込む表現」ということが、
この響かせる音の「包み込む性質」のことだと分かりますと、
心が身体とは分けて考えられないことまでも、イメージではなく実感出来るようになります。
なにせ、この声(音)を発しますと、自分自身が声(音)に包み込まれる感覚を、
はっきりと味わうことになるのですから。
(それが、感情を表現するのではなく、感情そのものになるということになるのですが、
それはまた。)
今後、声(音)は重要なキーワードになりそうです。
9月18日 『マイミクロスコープ 〜夜のアートマイム劇場〜』
新作 「淵」
Body,Mind&Spirit 本当の自分の身体は天才だ!