和の身体はイン(内向き)
西洋の身体はアウト(外向き)
前回の続きです。
私たち日本人にとって、生活様式から趣向まで西洋のものの方が身近です。
つまり、アウトの身体のほうがしっくりくるといいますか、
アウトの身体を求められる世界なんですね。
ところが、本来の私たちの身体はインだったんです。
・・・「だった」といいますのは、もうはっきりとインとは言えないと思うからなんです。
生活様式、食生活が西洋的なために、
アウトっぽい身体になっていってしまっているように思うんですね。
といって、もちろん、アウト(西洋的な外向き)の身体でもない。
まぁ、中途半端な身体ということです (涙。。)
今の私たちの多くが、はっきりとインではないとはいえ、
アウトでもなくやはりイン寄りであるために、
アウトの身体性が土台になっている動き、例えばバレエを身につけようとしますと、
どうしても無理が生じてしまいます。
インの(和の)身体のまま、見かけをアウト(西洋)にしようとする感じですね。
日本人は、形にはまることを好む(安心する)ところがありますから、
あるレベルまでは、この強引な状況(インの身体で形だけをアウトにする)が、
何かを学んでいる/教えている気がしやすく、
実際に見栄えが良かったり(形を学んでいますからね)、
群舞などでの見た目も統一感がでます。
けれど、所詮無茶であることに変わりはなく、
どこまで行っても、形に囚われた不自由な動き(踊り)にしかなりません。
習い事の範疇を超えられないということですね。
もちろん、個人個人でみれば、日本人でもアウトの身体の人もいるわけで、
そういう人はバレエなど西洋の身体が要求されるものが、身体にすっと入ってくる。
他の大多数のイン寄りな日本人が負う苦労をしないで済んでしまいます。
(一方、逆に、そういった身体の生徒ですと、指導者は教えづらいかもしれません。)
では、アウトの身体性に基づくバレエではなく、
インの身体性に基づく日本舞踊であれば、
私たち日本人にぴたっとくるかといいますと、
これも、今の私たちにはすっとは入ってこないんですよね。
本当のインの身体ではなく、あくまでイン寄りに過ぎない身体だからです。
(例えば、腰が浮いてしまっている。)
インの身体性に基づいた日本の踊りでさえ、そんなインではない身体のままでは、
結局、形をインにするだけですから、所詮無茶であることに変わりはなく、
どこまで行っても、形に囚われた窮屈で不自由な動き(踊り)にしかなりません。
(私自身も、日本舞踊を学び始めて、かなり長いこと、その窮屈さから抜け出せませんでした。)
なんだか、何をやってもモノにならない感じですよね?
で、実際、そうだと思うんです。
私の考えでは、
身体のベース(インかアウトか)をしっかり作らないことには、
いつまでも、形に縛られた不自由な身でしかないのです。
ちなみに、私はインとアウトどちらの身体が(日本人にとって)良い悪いではなく、
どちらにも行けるのを理想としています。
とはいえ、やはりベースはインです。
(私自身がそうであるように、多くの日本人がインではなくなってしまったとはいえ、
まだまだイン寄りだろうと考えるからです。)
インの身体をベースとしながらも、
単なる形のアウトではなく、アウトの身体に変容できることを目指します。
これは、私たちのマイムが、普遍性をその中心に置いているからということもあります。
ところで、
インの身体とアウトの身体、その決定的な要因はどこにあるのか?
どうして、アウトの形を学んでいてもアウトの身体になれないのか?
(インに置き換えても、同じですね。)
何をしたら、形ではなく、身体そのもののインとアウトが変わるのか?
また次回に。
10月6日 『刀の扱いから、身体の使い方とエネルギーの伝わり方を学ぶ』
10月16日 『動作塾』
(パンチ・突き)
10月30日 『刀の扱いから、身体の使い方とエネルギーの伝わり方を学ぶ』
来年 1月27日
『マイミクロスコープ
〜夜のアートマイム劇場〜』
Body,Mind&Spirit
本当の自分の身体は天才だ!