食べたい、行きたい、歌いたい、強くなりたい・・・
当たり前ですね(笑)
では、あなたが表現者だとして、何を思って舞台に立っているのか?
表現しようと思っていませんか?
あるいは、
◯◯の状態でいよう、
これは、冒頭の例で考えますと、本人の中に、不足を感じているということになりませんか?
表現出来ていない。
◯◯の状態ではない。
これは身体の使い方でも同じことが言えるのですが、
これ、こうして読んでいるだけですと、そんなバカなと思われるかもしれませんけど、
これが、力み。緊張。
なかなか気がつかないですし、指摘されても、簡単に変わるものでもありません。
自分では、500g分の力を使わないと、持てないと(無意識レベルで)思ってしまっている。
現実的には、どちらにしても持つことは出来るのですが、
「◯◯しよう」と思ってしまいますと、(無意識レベルで)不足を感じてしまう、
これは、
表現にお話を戻しましょう。
舞台上での「しよう」「しよう」という思いが溢れているのは、
そして、それはイコール
「出来ていない」「出来ていない」「出来ていない!!」
表現しよう。
◯◯の状態でいよう。
どちらでも、同じ。
「しよう」と思えば思うほど、不足感は強化されます。
両者は2つでセットになっています。
不足感のないところに「しよう」は生まれず、「しよう」が成り立つには不足感が必要。
悪循環に陥ってしまいます。
ただ、身体の使い方と同じで、力みに、本人はなかなか気がつけませんし、
では、解消、脱却する方法はあるのか?
もちろん、あります。
あるからこそのお話。
舞台上で「表現しよう」「◯◯の状態でいよう」と思わないようにする!
それでは、心の奥底で不足、つまり出来ていないと感じていることに、
「ただ出来ていない」だけになってしまいます(笑)
(「しよう」という表現より、むしろいいかもしれません。演出家によって活かされると思います。)
舞台上で「表現しよう」「◯◯の状態でいよう」と思わないようにするのではなく、
思わないでいられるためには、
そんな無茶な・・・それが出来ないから、、、でしょ?
・・・ではないんです。
「しよう」というのは、頭の問題。
ここでいうのは、体の問題なんです。
体をその状態にしてしまえばいいのです。
それが、私の提唱する「エモーショナル・ボディワーク」です。
頭を使ってしまってはいけないということではなく、
これは、「◯◯の状態になっていることを確認する」ということを重視したものです。
ですから、
ちなみに、先日上演した作品『老人/赤ちゃん』をご覧下さった、
見ている側にすーっと入ってきて、本当に心地良い時間でした。
「(笑)」が何を意味しているのかは、ちょっと分かりません(笑)が、
それはさておき、実際に私が「素直」かどうかは別として、
「表現しよう」という気持ちがありますと、
あるいは、引いていく・・・
どんな表現を目指すのか?
自分の表現欲を満たすのではなく、伝わることを目指すのでしたら、一緒にやりませんか?
伝わったとき、表現欲も満たされるかもしれませんよ。