今回は、
「好きなように楽しみ、解体、そして統合へ」
と題して、お話していこうと思います。
先日の新年早々のワークショップ
の際、
こんな質問がありました。
「感情と発声は一緒にしてもいいのですか?」
この方は、
ある種の声を出すとき、
感情を乗せないと出せない
ということだったんですね。
この質問をきっかけに、
こんなお話をしたんです。
(この記事では、少し加筆しています。)
声でも、身体表現でも
同じだと思うのですが、
感情と一緒でないと
ある種の声や、ある種の動きが
出せない、動けないときは、
感情を使ってでも、
引っ張り出したほうがいい。
最初は、とにかく出せる、動ける状態に
持っていくことを優先させる。
その後、
感情と切り離して
出来るようにしていく。
声にしても、動きにしても
感情と切り離して出来るようになりませんと、
応用が利かなくなるからです。
その声、その動きをするとき、
必ずある種の感情で
引っ張り出さなければいけないとなりますと、
その感情を表現したいわけではないとき、
してはいけないとき、
別の場面で使いたいとき、
気持ちが乗らないとき、
その声、動きが出来なくなります。
ですから、
感情と切り離して
出来るようになる必要があるわけです。
そして、その後、
もう一度、感情をくっつけて出来るようにする。
そのときの、
感情を乗せた声や動きは、
最初の感情で引っ張り出してきた声や動きとは、
一見、同じようでいて、
全く違うものになっているはずなんです。
感情とくっついたものでは、
人が入り込めないのです。
当人に余裕がない…といいますか、
声、動きと感情との間にスペースがないからです。
感情とくっついているものに対して、
その熱量に心動かされることはありますけれど、
それは、また別のことです。
一方、
感情を切り離した後、
もう一度乗せたものの場合は、
人がその人に対してではなく、
その表現に入り込めるようになります。
その人が表現しているのではなく、
その人を通して、
表現が現れているからです。
ただ、気をつけないといけないことがあります。
感情と切り離した声、動きを練習していきますと、
ただ、機械的に出来るようになるだけで、
後で感情を乗せられなくなる可能性があるんです。
これは、ダンサーに多く見られます。
身体が器用に動くだけで、
そこに感情を乗せましても、
動きと感情が一致しない…だけでなく、
一致していないことに気がつけなくなったりします。
楽器演奏も同じでしょうね。
さて、
感情と切り離した後、もう一度、くっつける
この一連の稽古は、
一般的には、楽しいものではないと思うんです。
しかも、
もう一度くっつけられるかどうか、
必ずしも保証されているわけではないですし、
達成出来たとして、
その表現と、もとの感情とくっついた表現とで、
人が、どちらを気に入ってくれるかも、
分かりません。
表現自体ではなく、
表現者の頑張り感に惹かれる人は多いですから。
ただ、私が思いますのは、
切り離さないままでは、
表現に行き詰まります。
だからこそ、
声(歌など)でも動き(ダンスなど)でも、
まずは好きなだけ楽しんで、
もっと深い世界に行きたいと思ってからでいいと思うんです。
そうしますと、
一般的には楽しくない稽古が、
とてつもなく楽しいものになります。
声、動きと感情との切り離し、つまり解体。
そして、もう一度、くっつける。つまり統合。
「好きなように楽しみ、解体、そして統合へ」
賛同いただけるかどうかは分かりませんが、
こんな考え方もあるのだと、
知っていただければと思います。
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