オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

お腹から声を出す? 〜西洋の発声 和の発声 3〜

お腹から声を出す。腹式呼吸で発声する。

 

歌や芝居、あるいは会議なども?非日常的な場面では、大事なことかと思います。

 

先日の「声から身体をつくる」クラスで、参加者のひとりが

 

「お腹から声を出すって、お腹から出すのではなくて、お腹を使うってことだったんですね!」

 

と、自分で気づかれたんです。

 

私がそういった説明をしたわけではなく、声帯と空気圧(声門下圧)の扱い方をメインにレッスンしていた結果、そのことを体感したんですね。

 

その人は、もともと大きなしっかりした声が出る人なんですけど、それでも新たな発見として、お腹と声の関係に気づいたわけです。

 

素晴らしい!

 

 

で、前回、前々回とお話をしています西洋の発声と和の発声のベースとなる音の違いですけれど、「ん」という音をしっかり響かせるのは難しいので、この一連のお話にピンと来ない方は多いと思います。

 

「ん」は引き込む、飲み込むような音。けれど、それを外に向かってしっかり出す。ちょっとアクロバティックな感じです。だから、簡単ではない。

 

ただ、この引き込みつつ外に出すという、一見矛盾したことを成立させられることが、大きな可能性をもたらしてくれる!と思うんです。

 

(実際、ある程度であれば、そこまで難しくありません。)

 

 

発声で響きを作れるのは母音でして、日本語はその母音を口の前で作ってしまうところを、「ん」発声をすることで口の奥・喉の奥で母音を出せるようになってくるんです。

そうしますと、子音と母音を分けて発声出来るようになります。

その上、喉が開くようになるので、喉を締め付けてしまわなくなるんです。

もちろん、

お腹はすごく使われます。腹式呼吸など意識しなくてもいいんです。

 

実はある人に、「ん」発声を応用して歌ってもらったんですけど、普段であれば声が裏返ってしまうところがスムーズに歌えたり、音の通りが無理なくしっかりしたりすると、驚いてもらっていまして、効果を実感しいるところなんです。

 

 

ところで、日本語が口の前での発声であるがために、お腹を使わないで済んでしまい、声が高くなりアニメっぽい声になってしまうというお話をしましたけれど、「ん」発声を外にしっかり響かせられない状態にもかかわらず、「ん」発声が強まってしまっている発声もあり得るのだと思われます。

 

つまり、お腹を使えていない状態で、「ん」が鳴る顔の中のある部位の働きの強さだけで声を発しますと、甲高いアニメっぽい声になるんです。

 

この声、通ることは通るんです。いや、通り過ぎるくらいです。

ただ、攻撃的な音、ぶつかる音なんです。サイレン的と言えば分かりやすいかと。

 

黒柳徹子さん。この方の声、特徴的ですよね? 

一見、ここでのお話のあまり良くない発声のような感じに見えるかもしれません。

けれど、そこまで攻撃的な感じはしないと思いませんか?

 

これは、やはりお腹が使えているからだと思われます。

 

実は、黒柳徹子さんは音楽大学の声楽科を出ているんですよね。

そう、しっかりお腹を使ってきているんです。

ですから、声にどこか柔らかさ、丸みがあるんですね。

 

 

さて、「ん」発声によって、子音と母音を分けて発声出来るようになりますと、(出来たらもうひとつ、声門下圧の扱い方がそれなりにでも分かりますと)英語など、子音をしっかり発音しなければならない言語の習得も、非常に有利になるのではないかと思われます。

 

日本人が英語っぽく喋ろうとしますと、巻き舌になりますでしょ?

なぜ、そうしたくなるのか?

もちろん、巻き舌っぽく聞こえるからですけれど、なぜそう聞こえてしまうのか?

 

これも、「ん」という子音の発声で使う部位が、他のあらゆる子音にも流用・応用されているのだと考えますと、見えてきます。

子音と母音の使い分けで、口の中での発声場所が前後に移動することがはっきりと分かるからです。

 

そもそも英語は母音を口の前ではなく、奥で発声しているので、日本人からしますと舌が奥にあるように思えて巻き舌っぽく感じるということもありますけれど、それよりも大きな要因があるんです。

 

それは、基本的に英語などは子音+母音ですから、口の中での発声場所が前から後ろへと移動するんです。

そうしますと、舌が前から後ろに移動する、巻き舌っぽく聞こえてしまうわけです。

 

日本語はずっと前のままで、後ろに動くということがない。日本語にはない音になってしまうがために、巻き舌として受け止めざるを得なくなるのでしょうね。

 

例えば、「first」と「fast」の発音の違いって、難しいですよね。

けれど、「first」は母音が曖昧。「fast」は母音がはっきりしている。

明らかに違うわけですけど、口前発声では違いを明確に出すことが難しい。

けれど、子音発声で使う場所と母音発声で使う場所を明確に分けられていれば、全く違う音として発音できるわけです。

そこに、「ん」発声の感覚が有用ということなんです。

 

と、長くなりましたけれど、「ん」を響かせられるような発声が、お腹から声を出すことをことを容易にしてくれるだけではない、さまざまな効用があると考えられます。

 

いずれにしましても、「ん」発声の体感が必要なお話なので、今後少しずつでも検証的なことが出来ればと思っています。

 

もちろん、これを読んで試してみて下さる方がいらっしゃれば嬉しいです。

「ん」を喉で出してしまわないよう、くれぐれもご注意を。)

 

 

 

 

 

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西洋の発声 和の発声 2

前回のお話の続き。

 

日本語は子音と母音がくっついていますよね。

例えば、「か」は「k・a」ではない。

 

英語などは子音と母音が分かれているので、例えば、「thanks」といったように子音が続く(th、nks)ことが普通にあるわけです。

 

で、この手の発音が日本人には難しい。。。

 

例えば、「ks」が「くす」になってしまう。「くす」は「kusu」であって「ks」ではない。

つまり、そもそも日本語では子音を表記でない。。。

どうしても母音と一緒になってしまうのが、日本語というわけですね。

 

そうしますと発声のベースが西洋の和とで違ってくるのは、当然のような気がしませんか?

 

子音というのは、破裂的なと言いますか、一瞬の摩擦音のようなものですから、響かせられない・長く出し続けられないんです。

 

「k」は「k」であって、「く」ではないですから、どうにも無理ですよね。

 

 

声の響きを作るのは、母音。

 

ところが、日本語は母音単独のものは「あいうえお」しかなく、あとは全て子音がくっついている。

となりますと、子音ごと響かせる必要がある。

 

子音は響かせられないといっているのに、厄介なことです。。。

 

 

ここで、少し別のお話。

 

日本語は口の前の方で発音する言語だそうです。それに対して英語などは口の奥・喉の奥で発声する言語だと。

 

(日本語は声帯を使わないで発音する言語だ、という言い方をする人もいるようです)

 

口の前の方での発音は、奥での発音に比べて、音が高くなります。息も使いません。

 

欧米人が日本語を話すとき、なんだか可愛らしくなるのは、たどたどしさだけでなく、声が高くなる。さらに息を使わない、つまりお腹を使わないので、子供っぽい・アニメっぽい感じになるからだと思われます。

 

逆に、日本人が英語の発音が上手くいかないのは、本来なら口の奥・喉の奥で発声しなければならないところを、口の前で発音してしまうからかと。

 

よく、英語は腹式呼吸だと言われます。

けれど、日本語のように口の前で発音している限りは、腹式呼吸を意識しても変わらない。

英語は口の奥・喉の奥で発声するがために、自然と腹式呼吸的になるだけなんでしょうね。

 

少し前の声のワークショップ参加者に英語を教えている人がいたのですけど、そのとき声帯の使い方を扱ったものですから、その後、英語の発音がすごく良くなったと報告をもらいました。

 

といったように、呼吸は結果的に起きることであって、口の中のどこで発音するか?が一番の問題なんだと思うのです。

 

こういったことを見てきますと、英語など子音と母音が分かれている言語では、基本、口の奥・喉の奥での発声になると考えられます。と言いますのも、子音は唇や舌といった、大雑把に言いますと口先での作業になり、一方、母音は口の奥・喉の奥での作業となり、作業場所が異なる。だからこそ、子音と母音を分けられる。

 

けれど、日本語のように口の前での発音となりますと、子音の発音作業と母音の発音作業を同じところで行なわなければなりませんから、どうしたって子音と母音はくっついてしまいます。分けようがない。

(英語の発音が難しくなるのも、このせいかと。どうしても母音が混ざってしまう。。。)

 

私たちはよく「腹から声を出せ」のような「腹(肚)」が大事だと言われますけれど、それはお腹が使いづらいからなんでしょう。

日頃使っている言語が、お腹を使わない言語ですから、よほど意識しないと使えないわけです。

 

 

さて、和の発声のベースが「ん」であるという前回のお話、これはつまるところ、子音と母音が分かれていない言語を大きく響かせるようにするということは、子音を響かせるような(本来は不可能な)ことを実現しようとしているということになります。

だからこそ、日本語の中の唯一とも言える子音だけの音である「ん」「n」を響かせられないと、どうにもならないわけです。謡や義太夫節などで発声をベースを意識的に「ん」であると考えていなくても、自然とそういったことをしているのだと思うのです。

 

で、「ん」がベースになりますと、和物の話芸で見られる、特に女性の「ゔっゔっゔゔ。。。」といった噛み殺したような泣き方が自然なものとなるように、「あ」がベースの言語のような開放感は難しくなります。

 

陰湿な感じが似合うわけです。

 

欧米の演劇や歌を取り込んだことで、和の発声は不要になってしまい、伝統芸能の世界だけで残っている。そんな感じなんでしょうね。

 

最後は余談でしたけれど、私としましては、西洋も和も、実はどちらもお互いの発声の仕方が、どこかしらで使われていると考えています。どちらの要素がメインか?だと。

 

発音と発声、面白いです。

 

 

 

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子音を響かせる!?和の発声 〜西洋の発声 和の発声 1〜

オペラなど西洋的な発声と、能の謡など和の発声。

 

明らかに大きな違いを感じますよね。

 

ところで、

 

和の発声は、喉を締め上げる? でも腹から? 唸ってる・・・

 

西洋の発声は、開放的で明るい感じ。頭声・胸声? 腹からではない?

 

和の発声は、喉声という言われ方をされることもあるようで、けれど、義太夫節の発声法をネットでちらっと調べてみますと、喉を使わないで腹からとあるんですよね。

 

なんだか、色々複雑です(笑)

 

 

まあ、こうして西洋と和とで、大きな違いはあるものの、当然共通のものもあると思うんですよね。

同じ人間の身体で出す声です。それも大きく響く、遠くまで届く声。

誰か特殊な人、一人だけが出来るというものではなく、長い歴史の中で多くの人が、それぞれの人生で長く出し続けてきているわけで、そこに西洋も和もありませんものね。

 

ただそれにしても、和の発声は、今の私たち(西洋的な歌声に溢れている世界)からは、違和感と言いますか、独特。

 

 

私自身、ずっと声を身体に響かせるということで研究してきているんですけど、どうにも和の声の唸るような強さで喋ったり歌ったりは難しいんですよね。。。

 

で、発声稽古していて思ったんです。と言いますか、ある仮説を思いつきました。

 

この仮説、私の知る範囲では聞いたことがなく、それでも重要な肝だと思い、結構いけるのでは?(笑)と、ここでお話をすることに。

 

まず、西洋でも和でも喉を開け、全身縮めることなく声を出します。

 

ただ、発声の基本・ベースの音が異なる。

 

それは・・・

 

西洋では「あ」がベース。

 

発声練習と言いますと基本、「あ~~~」って出しますでしょ?

もちろん、他の母音もあるでしょうけれど、基本は「あ」。

 

これに対しまして和の発声、何の音がベースだと思います?

私、思ったんです。

 

和では「ん」がベース。

 

「ん」の音を、しっかり強く「ん~~~」って出せること。

 

これ、実際にやってみて下さい。

結構、難しいと思うんですけど、何が難しいって、喉を締めてしまいやすい。で、音のボリュームも出ない。

なにしろ「ん」は母音ではなく、子音。Nの音。無理があります。

 

 

けれど、これを喉を開けて強い音を出せるようにし、その身体と言いますか喉の使い方で、他の母音も発声するんです。

「ん」は子音なので喉を使えない。これが義太夫節の喉を使わないになるのだと思われます。)

 

「ん~~~」がそれなりにでも出せますと感じると思うのですが、ものすごく腹の底を使います。圧縮の強さが必要になります。上から下への力ですね。

 

「ん~~~」は飲み込む。唸りです。絞るような感じです。

一方、西洋のベースである「あ」は、開放的。拡散的。

 

西洋もお腹を使います。けれど、西洋の場合、イメージ的には下から上へ。一方の和は、上から下へ。

西洋がお腹から出ていくのに対して、和ではお腹に押し込んでいく感じです。

 

それは発声練習の姿勢にも現れます。

以前少し触れましたけれど、西洋、声楽では立った姿勢で、和では正座が普通ですよね。

お腹に押し込む和の発声は、正座の方がやりやすい。

 

 

といったように、同じ大きな響きで遠くへと音を届けるといえど、ベースが「あ」か「ん」かという、全く真逆の性質を持った音ということなんです。

という、仮説を思いついたということ。

 

力の出し方が、西洋では押し出す方向、和では引き込む方向というのと、発声も同じということになりますから、この仮説、結構いけてるのでは?と思っております。

 

 

 

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広がれない身体 弾性のない身体

前回、身体の奥を伸ばせるかどうか?が重要というお話をしましたけれど、これは

 

身体を広げられるかどうか?

 

ということでもあるんです。

 

 

広がられるかどうか?と言われても、ちょっとピンと来ないかもしれません。

多くの人が、なんとなくは広げられても、本格的に全身を広げることが出来ないので、体感を持ちづらいんです。

 

だからこそ、身体の奥が伸びる感覚も分かりづらいわけですが。。。

 

広げることが出来ますと、どこまでも伸びていける感覚が生じます。

単純に大きく広げるというのとは、全く違うんです。

単純に大きく広げるといいますのは、広げた先でストップがかかる感じですね。

小さな子どもが、バッ!と両腕を広げた姿を思い浮かべていただけると分かるかと思います。

 

この広げられない身体でダンスをしますと、やたらと腕を脱力しようとしてしまいます。

広げた先でストップしてしまう感覚があるので、それを起こさないように。

あるいは、このストップの感覚が力み感覚・力みに見えて美しくないということにもなるので、そうならないように、かと。

 

いずれにしましても、広げられない身体ということです。

 

この身体ですと、動きに弾力が生まれないんですね。

 

弾力も、なかなか分かりづらい感覚ですよね。

 

 

トランポリン。

 

トランポリンの布・クッションの弾性、ああいった弾性を身体・動きに持たせられるかどうか?ということなんです。

ジャンプ力ではありませんよ。

 

この弾性は、身体の奥が伸びるからこそなんですけど、当然、その奥で伸びる部分は強いからこそ、弾性を持てるわけです。

 

で、この強さがあるから、その外側である身体を広げられる。

 

強さがありませんと、広げることに対して潜在的に怖さ・不安を感じてしまうのだと思います。戻ってくるところがないために、外へと行けない感じですね。

 

つまり、広げられない身体の場合、大きく動こうとしましても、奥の伸びを生じさせられるような強さがないために、自分でギュッと固めて強くしてしまう他なくなります。

で、ギュッと固めてしまうから、広がらないし、弾力も生まれない。

なんだか寸詰りな身体・動きに。

 

これは、堂々巡りになってしまうんです。

 

 

では、どうしたら解消できるのか?

 

 

基本的には、怖くても広げることです。

 

前回のお話の中で、奥が伸びないことに対しての内面に言及しましたように、広げるのが怖いのは、やはり内面深いところにある潜在的な抑圧だったりします。

 

身体を広げるということと、気持ちを開けっ広げにするというのは、通じるところがあるんです。

赤ちゃん、天才に通じていますよね?

 

奥が伸びない、奥を固めてしまいがちな身体のまま広げるには、脱力しかなくなってしまい、ただ、それは芯のない広がりで、だらしなく緩んで漏れ出ているだけになってしまいます。

そういった広がりではなく、強い芯のある弾性を持ち得る広がりが大事。

 

前回と同じ結論かもしれませんけれど、潜在的な抑圧を認めることで変わっていくと思いますよ。

 

 

 

 

 

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頑なな身体 〜自分の身体ですか?〜

身体の芯、奥深いところが動くかどうか?

非常に重要なポイントになるがゆえに、なかなか手強い。。。

 

今もあるのか分かりませんけれど、インナーマッスルを意識して動かしましょうみたいなもの、そういったものではどうにもならないから手強いんですけれど、では何が原因で手強いのか?

 

内面なんです。

 

頑な。エゴの強さです。

自分は変わらないぞという、攻撃であり防御。

 

 

この内面の頑なさが、身体の芯を硬くしてしまうんですね。

 

この硬さは、しっかりしているというのでなく、動けなくなっている状態でして、干からびた硬さであるために、脆い。ガッチガチで動けないか、ポキっと折れてしまうかの二択しかない感じですね。

 

この状態になってしまう原因が内面にある。

身体の使い方の問題ではないんです。

 

自分を抑圧してきた結果、硬くなり、硬くて動かないがために、身体の他の部位がどんどん代用されていく。代用部位は極端に強くなり、その強さが当たり前になるので、何をするにしても、その代用部位がまず働くようになり、そこを働かせないでは動けなくなる。

そして、芯の動かなくなってしまったところは、ますます干からび硬く脆くなる。。。

 

ひどい言いようですけど、これ、そういった内面にきちんと気がついていますと、こんなにひどい状態にはならないんです。

 

私自身、身体の使い方を見直し始めた頃は、芯が硬かったんです。それでも、この手の話を知った時、まずはそうかもしれないなと受け入れたんですよね。

だから変われたのだと思うんです。

 

つまり、この手の話を知っても、内面の問題ではなく、身体の使い方の問題としか考えないようですと、それこそ潜在意識に深く刻まれた抑圧があるということなんです。

 

『再創造する天性の動き』でも言及しましたけれど、天才は大抵かわいい。赤ちゃんみたいな無邪気なところがあったりしますけど、それは、やはり芯が柔らかいから。赤ちゃんと同じだからなんです。あるいは天才は動物的ですよね。同じことですね。

 

天才にならなくてもいいんですけど、身体の芯の動きをどの程度取り戻せるか?

このことに目を向けずに、身体の使い方をただコツを使いこなすような感じで学んでいきましても、それはただコツのコレクターでしかありません。ずっと自分の身体から離れたままです。

 

自分の身体から離れていますと、身体から新たなものを生み出すことが出来ません。

 

創造性の無い身体ということですね。

 

私たちは誰でも皆、創造性のある身体だったんです。みんな、赤ちゃんからスタートしてますでしょ?

 

その創造性を取り戻しましょうというのが、『再創造する天性の動き』なわけですけど、そもそも創造性を失わせたのは身体の使い方ではなく、内面です。

 

その内面をただ内面からのアプローチで解きほぐすのは難しいので、身体の使い方を見直すことを優先していまして、それでもやはり、内面の問題は残るんです。

 

素直な人は吸収が早いのは、この内面の問題がわずかだから。

自分は変わらないぞという、攻撃であり防御が少ないからですね。

 

まぁ、それでも私は、なんとか身体からのアプローチを追求したいものですから、レッスンの場では内面問題について触れることがあっても、サラッとです。

このサラッとで、ピンと来るか来ないか?ではあります。

 

 

最後に。

内面の問題が根深いほど、内面から目を逸らしがちです。

身体は内面と別物ではありません。

自分の内面を受け入れることと、自分の身体を取り戻すことは、同じこと。

 

 

 

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今を捉えていますか? 〜関節のあそび〜

動く際に、何が重要か?

 

ここを押さえておくかどうかで、日頃のトレーニングやエクササイズの意味が随分と変わってきてしまいます。

 

多くの人がストレッチや筋トレ、それに似たものをしてしまいますけれど、何を意識して取り組んでいますか?

 

重要なのは、「関節のあそび」に対して意識を向けること。

 

車のハンドルでも自転車のブレーキでも、ネジとドライバーの関係でも、全て「あそび」がありますでしょ?

全く隙間がなく、力を加えたらそのままダイレクトに働き出すわけではありません。

少し力を加えた後に、「今!」という瞬間・手応えがあって、力が伝わっていきますね。

 

この「今!」を捉えることが、身体を動かす際に、非常に重要なんです。

 

私の専門であるアートマイムには「インパルス」という技法がありまして、その一つに、まずは舞台に立っている間中決して消してはならない、「最低限のインパルス」というものがあるんです。

これは、身体中の「関節のあそび」を、最低限無くしておくというもの。

 

簡単に言いますと、全身をひとまとめにしておく。全身をひと繋がり状態にしておく。ということなんです。

 

あそびにも段階がありまして、完全にあそびがない状態は、強い打撃を加えるなどの本当に瞬間的に必要な状態であって、最低限のインパルス・あそびが最低限ないと言いますのは、連動性を生み出すのに必要な状態になります。

つまり、あそびがないと言いましても、この完全にない状態から、最低限までの間に幅があるというわけです。

 

 

そして、まずは何より、あそびが最低限ない状態を作ること。

 

それが「今!」を捉えることになり、連動性・協調性を生み出す必要条件になるんです。

 

 

逆に言いますと、「今!」を捉えることなしにトレーニングやエクササイズの類をやり続けていますと、動きは劣化していきます。

 

劣化すると言いますのは、身体に本来なら不必要な負荷をかけて動くようになっていくということです。

 

レーニングやエクササイズによって、一見よく動けるようになったと感じるかもしれませんけれど、動きの質としては下がっているわけです。

 

と、断定はできませんけど、そういう考え方を私はしているということ。

 

そういうこともあって、以前から「運動は身体にいいですよね?」に対して、「そうとは言えない」といった態度でいるんです。

また同時に、趣味でクササイズをしているなら、それは動きの質を上げることとは関係なく、決して悪いことではない、むしろ楽しいわけですから、それはそれ。他人がとやかく言うことではないとも言ってきています。

 

 

さて、筋力が上がらずとも、柔軟性が上がらずとも、「今!」を捉えられるようになるだけで動きの質は圧倒的に変わります。

 

人生観すら変わります。

 

人生観を変えるために取り組む必要はないのですけど、それくらいに単に肉体的なことではないということなんです。

 

過去に引きづられ、未来に心奪われる。そういったことではなく「今」に目を向けるということを、観念的ではなく実際に行う。それを続けていて、モノの見方・考え方に影響が出ないわけがありませんでしょ?

 

この「今!」に取り組んでいつまで経っても出来ない場合、それは肉体的な問題ではなく、モノの見方・考え方が変わらない、頑固なまでに過去の自分にしがみついているともいえるわけです。

 

動くって、面白いと思いませんか?

 

本年もよろしくお願い致します。

 



 

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欲と不安で「する」になりがち

表現といいますと、日常生活から離れた特別な行為のように思ってしまいますけど、私たちは日頃から常に表現しているんです。

 

家族といるときと、仕事関係の人といるときと、友達といるときと、それぞれ違う顔ですよね?

 

それは表現。

 

ただ、表現しているというよりも、表現されてしまっているという感じです。

 

先日、SNSでこんな言葉をアップしました。

 

表現というのは、現れるものであって、するものではないんだろうなぁ。

 

表現されてしまっているとは、ここでいう現れるですね。

ですから、表現とは思っていない。表現する、ではないから。

 

もちろん、ここには個人差が大きいと思います。

意識的に演じている・表現している人もいるでしょうし、それがあまりに当たり前になってしまって、本人は演じているつもりはないけれど、実は演じている。結構多いと思います。

 

一方、全く演じられませんと、社会生活は大変です。

一般的に、どこでも誰とでも全く同じままの言動をしている人を、精神疾患があると見ます。

 

 

お話が逸れそうなので戻りまして、表現というものを、「する」「現れる」で考えてみますと、

日常生活で誰かが演じているなぁという態度で接してこられた場合と、そうでない場合とで、どちらに違和感・不自然さを感じるか?といえば、明らかに前者で、それは表現を「する」であって、「現れる」ではないからですね。

 

逆に言いますと、違和感・不自然さを感じるから、演じているなぁと感じるわけです。

 

(ですから、「現れる」であっても、本人が分からなくなるくらいに演じてきた結果ですと、大元は「する」ですから、違和感・不自然さが生まれると、私は思っています。)

 

 

というわけで、表現は「する」よりも「現れる」ようにしたほうが、表現内容が受け手に届くわけですね。

 

(「する」で届くのは、表現者の熱であって表現内容ではないということでもあります。)

 

 

では、なぜ表現を「する」ようになってしまうのか?

 

 

欲。

 

不安。

 

 

欲とは、ひと言でいえば承認欲求なのかもしれませんけれど、自分をこう見て欲しい・こう扱って欲しいという、受け手側に判断の余地を与えないように、押し付けていく感じですね。

 

「する」表現に対する違和感、つまりちょっと引いてしまう感じは、この押し付けによって生じる自然な反応なんだと思うんです。

 

 

不安とは、伝わらないのではないか?という不安。当然、伝えたいことがあってこそ生まれるものですから、欲ということでもありますね。

表現が過剰になります。

 

 

 

よく、俳優さんが演出家からOKをもらえず、何度も何度もやり直しをさせられる、それもただ「そうじゃない」みたいな感じで、やり直しをさせられるという話がありますけれど、これは、「する」が無くなるのを待っている。「現れる」を待っているわけです。

 

 

じゃあ、「現れる」って、何?となりますよね。

 

 

簡単ではありませんね。

だからこそ、この「現れる」をアートマイムのクラスでは身体の使い方や「エモーショナル・ボデイワーク」を通して学んでもらったり、作品づくりを通して学んでもらったりしているわけです。

 

いずれにしましても、「現れる」という状態を少しでも意識的に体験できますと、「する」になってしまっている時に気づけるようになると思うのです。

 

「する」になってしまっている時に気づけること。

 

これが極めて重要。

 

「現れる」になるのは難しくても、「する」になっていることに気がつければ、チャンスはある。

 

ただやはり、気がつくのは難しい。受け入れられないということもあります。

 

だからこそ、同じことになりますけれど、身体の使い方や「エモーショナル・ボデイワーク」を通して「現れる」という状態を少しでも意識的に体験してもらっているんです。

 

 

「現れる」表現は、逆説的ですけれど、自分から離れた感じがします。ちょっと他人事のような。

 

 

「する」表現には、自分がべったりくっついている。隙間がない。受け手が入り込む余地がない。

 

「現れる」表現は、自分が薄い。隙間があるといえる。受け手が入ってこられる。

 

 

表現は、非日常の場だけに限ったものではなく、誰でも日常的に行なっていること。

あまり意識的になりますと、「現れる」ではなくなり「する」になってしまいますけれど、

今回のようなお話、一度でも意識に上げたことがあるかどうかは、大事ではないかと思っています。

 

最後までありがとうございます。

 

 

 

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