「今」というときしかないって、私よく言いますけれど、この「今」というのは、あるような無いような、なんですよね。
「今」というのは、過去と未来の接点にあたるわけですから、幅が無い。
そう、時間が無いんですよ。
ちょっと変な感じですけど、考えますとそうなりますでしょ?
紙の裏と表。
どこまでが裏で、どこからが表?
面積って、本当にあると思います?
この3次元の世界に、厚みを持たない物って何?
どんなに薄~い紙にしましても、必ず厚みはあるわけで、そうしますと、紙は体積としては存在し得ましても、面積としては、存在し得ないんじゃありません?
まあ、特別なことを言っているわけではありません。
面積は、あくまで概念。
ですから、「今」というときも、時間幅は無く、ただ頭の中にあるだけ、ということになります。
過去と未来を設定することで、初めて「今」が生まれる。
言い換えますと、過去と未来が無いとしますと、「今」も無い。
ところが、過去とか未来って、あります?
これこそ、概念でしかありませんでしょ?
思うことしかできませんもの。
頭の中のこと。
としますと・・・
あららぁ~・・・過去も未来も無い、ということは、「今」も無い。
う~ん・・・どうなっているのでしょ???
現実にこうして生きている、この「今」が無いなんて・・・私たちは、生きていないってこと???
過去も未来も、「今」というときさえも、頭の中にしか存在しないのに、どうしたって、私たちは生きている。
私たちが生きている以上、やはり「今」はあるんじゃないかしら?
よく言われます、「時間は存在しない」というのは、ある意味、本当ですけど、生きている私たちにとっては、それでも時間が存在してしまう、というのも現実。
こんな変なことを考えてしまうのは、人間だけなんでしょうね。
動物って、時間というものを、どんな風に捉えているんでしょう?
あぁ・・・絶対に分からない感覚・・・
・・・でもないかしら?
時間を忘れているとき、そのときこそ、時間が存在する気がします。
その時間とは、幅の無い時間。
永遠という時間。
はっ~ぁ、分かったような、分からないような・・・
けれど、ここから導き出されることは、「今」を生きるとは、「時間を忘れる」ということになりますね。
やっぱり、特別なことではありませんでした。
ふ~ぅ・・・