何かを信じ切ってしまっている状態を、
恐いと感じます。
信じているというのとは、ちょっと違う気がします。
信じ切った状態というのは、それは意識の深いところでのことですから、
「信じている」
なんていう気持ちがないわけです。
宗教でも、社会システムでも、人間関係でも、なんでもですけど、ある価値観や方法論を信じて疑わない状態。
そこには「正しい」
という気持ちがあるだけだと思うんです。
で、ときに(いや、常にかしら?)お互いの正しさを、押し付けあったりするんですよね。
まあ、もちろん私も、自分の考えを正しいとは思っていますけど、それでも、私はいつでも、
「分からない」んです。
ですから、いつでも、
「問い」かけます。
ただし、その問いかけに対する答えがみつかったとしましても、それにしがみついては、いけないと思っています。
答えだと思い、強く掴んでいると、そのうち、その答えが「正しい」ものになってしまいますから。
「正しい」考えは、危険です。
「正しい」が「間違っている」を生み出し、思考を停止させ、硬直化を進める。
問い、
答えを見つけ、
すぐにその答えを手放す。
絶対の答えを求めつつ、絶対の答えなんて無いんだと、分かっている。
空しい問いかけでしょうかねえ・・・